海外旅行回想録(3) ー オランダ

はじめに

海外旅行がまだそれほど一般的ではなっかった今から30~40年ほど前にも頻繁に海外旅行に行っていました。

この記事のシリーズでは、その頃の色々な海外旅行の記憶をたどって思い出深い観光地の体験などを書いていきたいと思います。当時撮影した写真は長年の間にネガであれプリントであれ一部紛失したり傷んだりしましたができるだけ雰囲気は伝わるように掲載していきたいと思っています。

この記事ではオランダへの旅行の体験をご紹介しますが、その前にまず今回のオランダ旅行の経緯をご紹介したいと思います。

ヨーロッパの鉄道旅

かなり前からヨーロッパはハワイに並んで日本人の憧れの旅行先でした。1967年にEC(ヨーロッパ共同体)ができてからはヨーロッパ各国の往来が比較的に自由になったということで一層旅行へ行きやすくなっていました。ちなみに現在は1993年からECはEU(ヨーロッパ連合)へと発展しています。

ヨーロッパの国々を高速鉄道で回れると知ってからは、是非鉄道の旅がしたいと思うようになりました。

三十数年前にその機会があったのでできるだけ自由に回りたいと思い、団体ツアーではなく個人旅行で行くことにしました。

結局、まずオランダ・アムステルダムのスキポール空港へ飛行機で行き、オランダからベルギー、ルクセンブルク、ドイツの4か国を高速鉄道で巡り、最後はドイツのミュンヘンから帰途に就くという計画を立てました。

当時はまだインターネットやスマホなどが世の中に普及していなく、ましてや旅行サイトなどのサイトや旅行アプリなども皆無の状態でした。現在のように旅行サイトなどを通じて手軽にホテルや乗り物を予約するということはできませんでした。

当時は旅行のガイドブックを見ながら、各国のホテル、鉄道駅、観光地の情報を調べ、ホテルや乗り物、レストランなどの予約はすべて国際電話で直接行いました。

計画を立てる際に最も苦労したのが、無理なく各国を巡りながら色々な観光地を快適に訪問するために、どこにどのくらい滞在し、電車でどこからどこまで乗るのか、またどのくらいの時間乗車しなければならないのか、どの程度頻繁に電車が出ているのかということでした。

とにかく情報が少ない中で旅行の日程を立てるのに大変苦労した覚えがあります。今はインターネットのおかげで当時から比べるとまさに夢のように便利になったものです。逆に情報がとても豊富で色々な情報を細かく調べていく作業自体が大変面白く、自分としてはそれだけでエンターテインメントになっている感があります。

当時ヨーロッパの各国を巡る鉄道旅では、ガイドブックに「国境を超えるごとに各国の担当官が座席まで来てお客さんのパスポートを確認するので、すぐ出せるように準備しておいてください。」と書かれていました。

実際は4か国を通過する間、何と一度もパスポートチェックはありませんでした。一方パスポートではなく電車の切符のチェックは驚くほど頻繁に行われていました。ヨーロッパでは無賃乗車がさぞかし多いのだろうと思いました。

たとえば当時ドイツでは日本の鉄道駅に必ずあるような改札口はありませんでした。乗客は切符なして電車に乗り込むことができました。しかし時々行われる切符のチェックで切符をもっていないと高い割増料金をとられるようなシステムになっていました。

ヨーロッパの鉄道旅でもう一つ気を付けなければならなかったのは、電車が駅で一時停車する間にスーツケースが盗難に会いやすいということです。そのため停車駅ごとに、少し離れた専用の置き場に置いていたスーツケースの見張りをするはめになりました。

色々と苦労もありましたがヨーロッパを縦断する鉄道旅は窓から見える各地独特の風景を満喫しながらの悠々の楽しい旅になりました。

3.オランダ

オランダではアムステルダム市内観光とその周辺の観光を楽しみました。次の写真はアムステルダム市の中心付近の街角の様子です。

市内中心部の夜の景色です。

街の中心部でも昔の古い趣のある建築物がたくさん見られました。左下の写真は大通りのすぐわきにあった立派な時計台です。最上部には鐘が見えますので教会の建物だと思われます。

右下の写真は昔のオランダの街並みを再現したミニチュアの風景です。このミニチュアは町の中心部にありました。これは三十数年前ですので現在は展示されているかどうかは分かりません。

   

左下は夜に訪問した市庁舎の姿です。右下は湾の遊覧船から見た中国風の建物です。多分中華料理のレストランだと思われます。

 

オランダの名物産業である花の卸売市場の見学にも行きました。とても広い倉庫に花がたくさん集められていました。これから競りに出されるものと思われます。

オランダでは昔からチューリップ畑の風景が有名です。17世紀にはチューリップに異常なほどに人気が集まり1個の球根で家が買えるほどに価格が高騰しましたが、その後急に暴落したという歴史的に有名なバブルを経験しています。これは世界最初の大きなバブルだったといわれています。

有名な観光スポットであるアンネ・フランクの家も訪問しました。

アンネ・フランクはご存じのように第二次世界大戦中のドイツのユダヤ人迫害を逃れてアムステルダムの父親の仕事場の裏部屋で2年間を過ごし、日記を書いたことで知られています。

日記は世界中の多くの言語に翻訳され今でも多くの人に読まれています。幼少の頃学校の授業で紹介されたので日本でもたくさんの人がよく知っていると思います。

現地では当時の部屋が再現されていて日記やその他の資料がたくさん展示されていました。訪れた時にも多くの観光客で賑わっていました。

部屋で展示品を見ていたところ、ふと周りを見ると何人かの見学者の人たちが展示品を見ながら涙を流していました。ヨーロッパからの観光客のように見えましたが、今でもこのように人々に強い共感・感動を与えていることが改めて認識されました。

オランダの風車

ところでオランダと言えばチューリップ畑と並んで有名なのが風車です。

オランダに行けば是非運河に沿ってたくさんの風車が並んでいる絵になる風景を眺めたいと思っていました。

しかし少し探したのですがそのような理想的な配置の風景はアムステルダム近郊では見当たらず、下の写真のように所々にポツンと風車が佇んでいるという景色だけでした。

牧草地帯を一直線に進む道路と遠くに風車を望む風景です。

立ち並ぶ風車の風景を見たい場合は、現在世界遺産になっているキンデルダイクの風車群がお勧めのようです。ここはアムステルダムからかなり距離があり、電車やバスを乗り継いでいかなければなりません。

キンデルダイクではオランダにある約1,000基の風車の内19基が観光用に整備されているとのことです。次にオランダを訪れた時には是非キンデルダイクへ行きたいと思っています。

なおこの時のオランダ旅行では私たちが乗った観光バスが他の観光バスの故障で立ち往生していた観光客を助けたというような興味深いハプニングがありました。

このときの詳しい状況は「団体ツアーあるある(4)」の「観光バスのトラブル」のところで紹介しています。

アムステルダムの夜は当時のガイドブックで絶賛されていた1939年創業の伝統的オランダ料理レストラン「5匹のハエ」でフランス料理風のディナーをいただきました。レストランではあちらこちらに5匹のハエの絵があしらわれている昔風の独特の落ち着いた雰囲気の中で料理とワインをとても美味しくいただきました。

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