海外旅行回想録(16) ー イギリス(前編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではイギリス旅行の体験をご紹介します。

16. イギリス(前編)

イギリス(大英帝国)は19世紀~20世紀にかけて世界第一の強大国でした。北アメリカ、インド、アフリカ、オーストラリアなど世界各地に多くの植民地を築きその全盛期には世界史上最大の面積を誇ったといわれています。この時に全世界に英語が広まって現在でも世界の共通語としての地位を保っています。

このように知名度抜群の国家ですので、イギリスについては幼いころから学校などで色々なことを学んできました。

日本では明治時代にはイギリスを手本として近代化が進められました。そのために政治、金融、鉄道、通信などにイギリス式が取り入れられています。ご存じのように日本では自動車が左側通行なのはイギリスに倣った結果だと言われています。昔イギリスの植民地だったオーストラリアやニュージーランドなども日本同様に左側通行です。

ところでイギリスといえばすぐに「赤い色」がイメージされます。これはイギリスが舞台となる映画やTVドラマなどを見ていると中世のころから王家や貴族など高位の人が赤い色(クリムゾン)の服を着ているシーンを見ることが多かったからです。また20世紀初頭まではイギリスの兵隊も皆この赤い色の軍服を着用していました。

このような偉大な歴史的背景のあるイギリスなので最初にイギリスを訪れた時は何か感慨深いものがありました。観光という面でもたくさんの見所があります。古代の遺跡、中世の歴史的建造物、美しい街並み、古城、風光明媚な雄大な風景を誇る場所、スコットランド独特の歴史と景色、怪獣伝説などです。

また「ハムレット」の作家シェークスピア、「シャーロック・ホームズ」の作者アーサー・コナンドイル、「ハリー・ポッター」の主人公ハリーの生家、ビートルズのアビー・ロードの有名な横断歩道もあります。

三十年ほど前に夏休みを利用して初めて団体ツアーでイギリスを訪れました。その時に観光した場所は、ロンドン、ウィンザー、バース、ストーンヘンジ、ストラトフォード・アポン・エイヴォン、湖水地方、エディンバラ、ネス湖などです。

ロンドン

イギリスの首都であるロンドンはあまりにも有名な国際都市で政治、経済、金融、産業、ファッション、文化・芸術、音楽、エンターテインメントなど世界をリードする勢いを保っています。

ロンドンと言えば中世風の街並みを背景に走る赤い二階建てのバスと黒塗りのロンドンタクシー「ブラックキャブ」が特に有名です。このようないかにもロンドンという景色を見るのも楽しみでした。下の写真はそのようなロンドンらしい街角の写真です。

   

上の2枚の写真はロンドン市内観光で最初に訪れたロンドン観光で大人気のバッキンガム宮殿です。この日も多くの観光客で賑わっていました。

バッキンガム宮殿はエリザベス女王のロンドンの住居でここで執務も執り行ない、さらにロイヤルファミリーが諸外国から賓客を迎えるときの迎賓館としても使われています。

   

左上の写真はテムズ川沿いにある国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)です。ウェストミンスター宮殿は、11世紀にエドワード懺悔王の住居として建設され16世紀初頭までは王室の住居として使われていたそうです。現在はイギリス国家の政治の中心としての機能を果たしています。

右上の写真は国会議事堂の横にそびえたつ時計台「ビッグ・ベン」の上部アップの写真です。

このビッグ・ベンのチャイムですが「ウェストミンスターの鐘」という曲です。実はこの曲は日本の学校で広く使われている授業の開始・終了を知らせるチャイムと同じです。

終戦後日本では最初のころ空襲警報と同じようなベルなどが使われていたそうですが、生徒から空襲を思い出すので変えて欲しいという要望があったそうです。そのため東京都大田区の大森第四中学校で教員をしていた人が「ウェストミンスターの鐘」の曲のチャイムを選定したのが始まりで、これが好感を集め日本中の学校に広まっていったそうです。

上の写真はテムズ川にかかる1894年築の「タワー・ブリッジ」です。この橋はそのインスタ映えする姿からロンドンのアイコン的な存在になっています。

上の写真を見て分かるようにタワー・ブリッジは上下2段の橋になっていて、下段の方は大きな船が来るとせりあがって船を通すようになっているそうです。上の橋の部分は下の橋がせりあがっている間に人が反対側に渡るために設けられたということです。

しかしわざわざ上に上がるのが面倒なので実際には人々は船が通過するのを待っていることが多かったそうです。

ところでロンドンには童謡「ロンドン橋落ちた」にも歌われた歴史的に有名な「ロンドン橋」が別にあります。同じテムズ川に架かる橋で距離的にもすぐ近くにあります。

ロンドン橋はテムズ川にかかる最古の橋といわれ、古代ローマ時代から2000年近く戦いで何度も落とされては架け替えられてきた歴史があります。ロンドンの商業や町の発展の中心に位置していたために昔からその知名度は高かったということです。

多くの観光客がこのタワー・ブリッジをロンドン橋だと勘違いしているそうです。実際のロンドン橋は世界中のどこにでもあるような何の変哲もないごく普通の姿の川の橋です。そのため観光客のほとんどがこちらのタワー・ブリッジの方へ観光に来るそうです。

   

上の2枚と左の写真はロンドンのほぼ中央に位置し、ナショナル・ギャラリーの前にある巨大なトラファルガー広場の様子です。ここは色々な集会やイベントが開かれる会場としても知られ、多くの観光客が訪れる有名な観光スポットになっています。

トラファルガー広場には巨大な4つのライオン像があり、東京の三越本店の入口にある一対のライオン像はこれらのライオン象をモデルとしたと言われています。

左の写真の高さ50mの円柱の上に立っている像は、トラファルガー海戦の英雄であるネルソン提督の記念碑です。

1805年のトラファルガー海戦は、フランス・スペイン連合艦隊からなるナポレオン海軍をネルソン提督の指揮するイギリス海軍がスペインのカディス沖のトラファルガーで撃破した戦いでした。この時ネルソン提督は戦死しましたが、この海戦での勝利はナポレオンのイギリス征服を阻止することになりました。

   

左上の写真は大英博物館で、右上の写真は凱旋門公園です。

大英博物館は世界で最も有名な博物館の1つで、もちろんロンドン観光の目玉になっています。収蔵点数は約800万点を誇り、ロゼッタストーンやミイラなど考古学的に貴重な出土品から美術品・書籍まで幅広いコレクションを見ることができます。

展示が充実しているのは特に古代エジプト時代、古代ギリシャ時代、ローマ時代などです。私も学校の教科書の写真で見て興味を持ったロゼッタストーンをまじかに見ることができてとても感動しました。

またミイラについても予想をはるかに超える数の色々な種類のミイラが展示されていて、これほどまとまったコレクションを一度に目の当たりにするのは生まれて初めての経験でした。

ロンドン滞在中に、夕食後時間を見つけてピカデリー・サーカスにあるミュージカル劇場で当時話題になっていたミュージカルを鑑賞しました。ニューヨークの本場ブロードウェイでは何度も色々なミュージカルを見ましたが、ここのミュージカルも勝るとも劣らぬ出来栄えでとても楽しむことができました。

次に訪れたのはエムズ川沿いにあるロンドン塔です。

    

左上の写真はロンドン塔の入場口である13世紀建築の「バイワード・タワー」です。真ん中の写真はロンドン塔敷地中心部にある「ホワイト・タワー」という建物です。また左の写真はロンドン塔の敷地内からタワー・ブリッジを望んだ景色です。

ロンドン塔は、イギリスを征服したノルマンディー公ウイリアムが1070年代に建てたのが最初だということです。ロンドンに4つある世界遺産のうちの1つになっていて1000年近くの歴史の中で城、要塞、宮殿、牢獄と色々な用途で使われてきました。

観光の目玉は、間近にみることができるイギリス王室の宝冠や世界最大級のダイヤモンド「カリナン」などと、ロンドン塔で処刑された人物たちの歴史物語です。

ホワイト・タワーの内部ではイギリス歴代王とそれぞれの時代の見事な甲冑などが展示されていました。

少し怖い歴史を秘めたロンドン塔ですが、現在年間300万人以上が訪れる人気の観光スポットになっているそうです。

上の写真はロンドン市内観光中にふと目に留まった公園の中にある花壇です。日本の公園とは違って花壇がとても美しく素敵に整えられていました。ヨーロッパの他の国でもそうですがみな花にはとても愛着があるようです。

ある調査機関によると2014年の世界の国民一人当たりの花の消費量が多い国のランキングは、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、オランダ、ドイツ、ベルギー、スイスなどとなっていて日本は消費量がスイスの半分程度にとどまっています。

やはりヨーロッパ諸国が目立っており、社会保障が行き届いた成熟国ほどより多くの花を消費している傾向が見て取れます。このランキングは国民の幸福度にも強い相関があるとも言われています。

日本でも多くの人がもっと花を愛でるような心に余裕のある暮らしができるようになれば良いなと思います。

ウィンザー

ロンドンから西へバスで約1時間の場所にあるウィンザーはエリザベス女王の週末の憩いの場としても愛されている街です。

ウィンザーで最も有名なのはエリザベス女王がよく週末を過ごすウィンザー城です。またウィンザー城の目の前には広大な敷地の「ウィンザー・グレート・パーク」が広がりその殆どは無料開放されています。

   

左上の写真はウィンザーの街並みで、右上の写真はウィンザー城へ入場するために入り口に並んでいる観光客の様子です。

上の2枚の写真は衛兵の交代式の様子です。楽団が出てきて音楽を奏でたり、思ったより大勢の衛兵が整列してかなり大掛かりな交代式だと思いました。バッキンガム宮殿の交代式と共にこちらも観光の目玉になっているようでした。

ところで上の2枚の写真を見て分かるように交代式が行われる足元の芝生の地面がかなり傾斜していて、さぞかし歩きにくいだろうと思わせられました。

    

左上の写真はウィンザー城の衛兵が立っている姿です。右上2枚の写真は観光中に立ち寄った教会とその内部の美しいステンドグラスの写真です。

バース

ロンドンの西方向約185kmの位置にある世界遺産の街バースは英国で唯一の温泉地です。

紀元前9世紀に最初に源泉が発見されて以降1世紀のローマ帝国時代には温泉保養地として栄えたそうです。

400年頃にローマ人の撤退とともに一時街は衰退しましたが、18世紀のジョージ王朝時代に飲泉ブームが起こり上流階級の温泉保養地として再び賑わいを取り戻し、ジョージアン様式で多くのテラスハウスが建てられて、現在までこの美しい街並みが残っているとのことです。

観光では約2千年前にローマ人が築いた温泉複合施設「ローマン・バス」へ行きました。

   

左上の写真はローマン・バスの入口付近の写真です。右上の写真は内部の温泉のお湯の様子です。

上の写真は温泉施設を2階のテラスから眺めた風景です。昔の上流階級の人達がのんびりと温泉につかっている様子が思い浮かびます。

火山が多い日本では温泉地の数が全国に3,000以上はあるといわれています。そのため温泉につかる習慣は多くの人にとってごく日常的で昔から国民誰でも温泉を楽しんできました。

一方イギリスのように温泉地が極端に少ないと必然的にごく一部の上流(特権)階級の優先の娯楽施設になっていたのだと思われます。

バース観光では、ジョージ王朝様式の曲線が見事な三日月型テラスハウスも見学しました。思っていたよりも大型の施設で少しびっくりしました。

ストーンヘンジ

ストーンヘンジは、ロンドンから西へ約120kmのソールズベリー平原に立つ、世界遺産に登録されたストーンサークル(石を環状に配置した古代遺跡)です。紀元前3000年の新石器時代に作られ始め、紀元前2500年頃には現在あるような巨石を使った遺跡になったそうです。

石の重さは大きいもので50トンにもなり、誰が何の目的でどのようにして建造したのかなど未解明の部分が多い遺跡で、世界七不思議の1つに数えられています。現在世界屈指のパワースポットということで世界中から観光客を集めています。

ストーンヘンジの周りには何もないので、私たちも観光バスでこの遺跡を見るためだけに片道数時間もかけて田舎道をはるばると行ったことを覚えています。

幼いころから教科書などの写真ではよく見ていましたが、やはり実際の現場で実物を見た時には感動しました。当時からすぐそばには立ち入ることができず、周囲から眺めるだけでしたが、大平原にぽつんと立つ姿はあまりにも神秘的で「いったいこれは何?」という不思議な感情が湧きました。

最近の研究・調査で分かったようですが、ストーンヘンジの石は異なる2種類の石、ブルーストーンとサルセン石が使われているとのことです。

ブルーストーンは2トンから5トンの重さのものが少なくとも50個近く、約240km離れたウェールズのプレセリ・ヒルズから運ばれ、また23トンほどの重さのサルセン石は80個程度、北に約25km離れたウエストウッズから運ばれたと考えられています。

これらのたくさんの巨石をかなり離れた場所からどのようにして運んできたかは具体的にはわかっていませんが大変な人手と時間がかかったものと思われます。

またストーンヘンジの目的・用途については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台など各種の説があるようです。中には有史以前に宇宙人が建造したというようなロマン溢れる説もあるようです。しかし現在は古代人の神殿であったという説が最も有力のようです。

この記事は「海外旅行回想録(17) ー イギリス(後編)」に続きます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする