海外旅行回想録(17) ー イギリス(後編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではイギリス旅行(後編)の体験をご紹介します。

17. イギリス(後編)

この記事では約30年前の夏に団体ツアーで行ったイギリス観光旅行の後編としてストラトフォード・アポン・エイヴォン、湖水地方、エディンバラ、ネス湖などの観光をご紹介します。

ストラトフォード・アポン・エイヴォン

ストラトフォード・アポン・エイヴォンは、イギリスの南部に位置しロンドンからバスで約2時間のところにある小さな田舎町です。イングランドの中心を流れるエイヴォン川のほとりに位置しています。

ここは16 世紀の劇作家ウィリアム・シェイクスピアの故郷として良く知られ世界中から年間約50万人の観光客を集めているそうです。

シェイクスピアはご存じのように、イギリスが世界に誇る劇作家・詩人と言われ四大悲劇である「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」や「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「ジュリアス・シーザー」、「夏の夜の夢」など世界中に良く知られる傑作を多く残しています。

上の写真はシェイクスピアの生家です。ここではシェイクスピアが青年期までを過ごした部屋や裏庭などが見学できるようになっていて建物内部には色々な関連資料が展示されています。

   

左上の写真はシェイクスピアの生家の裏庭です。綺麗な花が溢れるようにいっぱいに咲いている花壇がとても印象的でした。

右上の写真は街の通りで見かけた可愛いお人形屋さんのショーウインドウの様子です。

観光では、シェイクスピアにまつわる観光名所やその他中世の雰囲気が残る街の散策などをゆっくりと楽しみました。小さな街でしたが通りには当時たくさんの観光客が行き交っていました。

ところでこの街をツアーで観光中、私たちの日本人添乗員さんがある施設の入場券を買いに行っている間に、私はツアーの人達のために現地の案内係の人の簡単な通訳をお願いされてしまいました。私は英語(特にアメリカ英語)にはある程度自信がありましたが、現地の案内係のシニアの女性の英語があまりよく聞き取れず、とても苦労した思い出が残っています。

この案内係の人の英語はいわゆるイギリス正統派の「クイーンズ・イングリシュ」とはかなり違う発音でいわゆるなまりが強い英語でした。

後から分かったことですがイギリスでは各地域によってそれぞれ独特のなまりがあるということでした。それほど面積は広くはない国土ですが昔から地域ごとにそれぞれまとまりがかなり強かったという背景があったためだと推察されます。

湖水地方

ロンドンから北北西に約400KMの位置でスコットランドに近い地域にある湖水地方は、大小16の湖が点在するカンブリア地方のイギリス国内最大の国立公園で、イングランドで最も美しい雄大な風景に出会うことができます。

湖は昔氷河の浸食で生まれたそうで、水と緑が織り成す絵本のような風光明媚な田園風景に恵まれ世界的に人気のリゾート地となっています。

また詩人のワーズワースや「ピーターラビット」の著者ビアトリクス・ポターなどの多くの作家を魅了してきた場所です。

私は以前はイギリスに湖水地方のような美しい広大な場所があるとは知りませんでした。映画やドラマ、教科書などで見てきたイギリスはやはりロンドンのような人が密集した雑踏が似合うどちらかというと曇りや雨空の都会のイメージばかりが頭の中にあったからです。

今回初めて湖水地方を観光することで、イギリスにもスカンジナビアの北欧諸国のような森と水の素晴らしい風景があることを知って認識を新たにしました。なおこの湖水地方は2017年にはイギリスの世界文化遺産として登録されました。

次に湖水地方を観光バスで移動しながら撮影した雄大な風景の写真を数枚掲げておきます。

上は観光バスの前面の窓から大平原の中に続く道を撮影した写真です。

   

あちらこちらに湖が点在していました。

人家もほとんどなく遠くまで続く草原や谷の美しさが際立っています。どう見てもイギリスとは思えない風景が続いています。

私たちのツアーの観光バスは所々のビューポイントで一時停車してくれました。その時バスから降りることができたので、あたりを軽く散策したりして360度の景色を十分に楽しむことができました。

ピーターラビットの故郷

湖水地方で最大のウィンダミア湖に近いニアソーリー村には作者のビアトリクス・ポターが移り住み「ピーターラビット」シリーズを書き上げたコテージ「ヒル・トップ」があります。下の写真がその建物です。

家までの石畳のアプローチの両側にはイングリシュ・ガーデンの趣で草花がたくさん植えられていました。

ポターはベストセラーとなった絵本の売り上げで土地を少しずつ購入し、湖水地方の自然を開発・破壊から守る活動を続けピーターラビットの絵本さながらの美しい景観を保つ努力をしたそうです。

上の写真のポターが住んでいた家の中ではピーターラビットの絵本関連の資料が展示されていました。また同時に関連の小物なども販売されていましたが、その売上金は湖水地方の環境を守る活動に寄付されるということでした。

私たちもいくつかの小物を購入してささやかですが環境保護のお手伝いをしました。

上の写真はヒル・トップの裏側に広がるのどかな羊の放牧地帯を撮影したものです。まさにピーターラビットの絵本の世界を実際に見ることができました。牧場を区切っている高さの低い塀が特徴的です。ポターも同じ景色を見ながらあのベストセラーを書いたのかと思うと感慨深いものがありました。

自宅ではピーターラビットの絵柄が付いた可愛いケーキ皿を長年デザートをいただく際に愛用しています。

エディンバラ

エディンバラはスコットランドの東岸、フォース湾に面していてスコットランドの首都であり政治と文化の中心都市です。

中世の面影を残した歴史的建造物が並ぶ旧市街(オールドタウン)と、新古典主義様式の建造物の新市街(ニュータウン)の織り成す美しい街並みが世界遺産として登録されています。

そもそもスコットランド王国は6世紀頃にアイルランドから移住してきたスコット人の末裔によって1034年に建国されたそうです。建国当初から隣の強国イングランドとの激しい抗争を幾度となく繰り返してきた歴史があります。

1707年にイングランドに統合されるまでエディンバラはスコットランドの首都として行政府・商業都市として栄えてきました。またエディンバラ大学は日本の東京大学よりも世界ランキングが上でイギリスでもトップグループの名門大学の一つになっています。

今回のツアーでこのような歴史的な不屈の独立精神の舞台の中心であったエディンバラを観光するのはとても楽しみでした。私がエディンバラに最初に関心を持つことになったのは、世界で大ヒットしたイギリス映画の初期シリーズの「007」の初代ボンドのショーン・コネリーの出身地だったことも影響しています。

エディンバラ観光ではまず最初に街の中心にある小高い丘「カールトン・ヒル」へ行きました。そこからはエディンバラ城をはじめとして美しい街の眺望が楽しめました。

上の写真はカールトン・ヒルからエディンバラ城を遠くに望む風景です。手前には昔の大砲も展示されていました。カールトン・ヒルには、ナポレオン戦争で亡くなったスコットランド兵をしのぶナショナル・モニュメントやネルソン提督が指揮したトラファルガー海戦の勝利を記念して作ったネルソン・モニュメントなどがありました。

 左の写真の右側にある円筒形のモニュメントは「ダグラス・モニュメント」です。スコットランドの哲学者ダグラス・スチュアートを偲び、彼の死から3年後の1831年に完成したそうです。

エディンバラの市街地を望むカールトン・ヒルの一等地とも言える場所に立っており、写真右奥にエディンバラ城が少し見えています。

エディンバラ城

エディンバラ城はエディンバラのシンボルとも言える存在で非常に人気のある観光スポットです。エディバラの街はエディンバラ城の城下町として発展した街です。

エディンバラ城が建っているのはキャッスル・ロックといわれる岩山の上です。エディンバラの街の色々な場所からその姿を望むことができる高台で、城が築かれる前から天然の要塞として使われていたそうです。

スコットランドの戦いの歴史の中心舞台にいたエディンバラ城は、その広大な城内の建物は12世紀から16世紀までの間の数多くの戦争で破壊と再建を繰り返してきました。城内には砲台や歴代の王や王妃の居室、礼拝堂など、多数の建造物が残されています。

下の写真は多くの観光客が観光バスから降りてエジンバラ城へ入場していく様子です。

左はエディンバラ城の衛兵と並んで記念撮影した写真です。

エディンバラ城の衛兵の人は写真のようにとてもサービス精神旺盛で私たちのような観光客との2ショットにも気軽に笑顔で応じてくれました。エディンバラが観光に力を入れているという証拠でしょうか。

上の写真はエディンバラ城の第一の門の前で執り行われた衛兵の交代式の様子です。この儀式も大人気のようで写真の左側のように大勢の観光客に囲まれていました。

スコットランドの二人の英雄

上の写真でも写っているようにアーチ状の門の入口の両側に立つ二つの銅像は13世紀にスコットランドの独立を勝ち取った二人の英雄です。右が伝説の英雄ウィリアム・ウォレスで左がスコットランド王ロバート・ブルースです。

ウィリアム・ウォレスは、スコットランドの平民として生まれ、幼い頃に父親を亡くたあと叔父に連れられて諸国放浪の旅に出て、色々な知識や思想を学んだということです。

その後故郷に戻り生活していましたがイングランド兵に妻を殺され、それ以降祖国の自由と独立のために民衆を率いてイングランド軍との戦いを始めたそうです。

ところがウィリアムは味方だった貴族たちの裏切りにあいイングランド軍にとらわれてしまいとても残酷な方法で処刑されてしまいました。

ウィリアム・ウォレスが処刑された後に彼の遺志を引き継いだのが貴族ロバート・ブルースでした。彼はスコットランド軍を率いてイングランド軍に勝利しついに独立を勝ち取りスコットランド王となったということです。

ウィリアム・ウォレスの英雄伝説については、1995年制作のアメリカ映画の超大作「ブレイブハート」(メル・ギブソン主演・監督)を是非鑑賞することをお勧めします。

特に主役のメル・ギブソンの演技が素晴らしくとても良くできた感動的な作品に仕上がっていて、アカデミー作品賞、監督賞、音響効果賞、メイクアップ賞、撮影賞の5部門を受賞しています。この映画は私が今までに見た数多くの映画の中で最も感動したものの一つになっています。

余談ですが私はこの映画を見て初めて名優メル・ギブソンの存在を知ることになりました。その後ではたとえば、アメリカ独立戦争に翻弄された家族の物語を描いた2000年のアメリカ映画「パトリオット」、ベトナム戦争の悲惨さを実話をもとに訴えた2002年のアメリカ映画「ワンス・アンド・フォーエバー」などがとても見応えのある彼の主演作品となっています。

一方、ロバート・ブルースの活躍の内容については、2018年制作のイギリス・アメリカ映画「アウトロー・キング~スコットランドの英雄」や2019年制作のイギリス映画「ロバート・ザ・ブルース」の歴史映画を見ると詳しくわかるようです。

さていよいよエディンバラ城の中へ入っていきます。

第一の門を通り抜けて次は第二の門へ向かいます。左下の写真は第二の門を見て撮影した写真です。とても頑丈な造りになっていて敵がここを通過するのは容易ではないことがすぐに分かります。

   ところで右の写真は左の写真の一部を拡大したものです。偶然に写っていたものですが、イギリス紳士と淑女のような二人連れが門の中へ入って行っています。

ご婦人の方はすでにこの記事(前編)でふれたイギリス上流階級が好んで着た典型的な「赤色」の服です。帽子から上下の服、さらにハンドバックも赤系統にとてもお洒落に揃えているのが分かります。

また男性の方もイギリス紳士らしいシックな服を着ています。海外からの観光客ではなくいかにもイングランド在住の方々だろうと想像されます。

上の写真は城の一番奥にある広場で、目の前のレンガ造りの建物は12世紀初期に建てられた城内で最も古いセント・マーガレット教会堂です。写真の前面で背中を向けて立っている十数名の人たちは当時の私たちのツアーメンバの皆さんです。

お城の中は写真のようにかなりの人ごみになっていました。

上の写真はエディンバラ城の中から市街を眺望した風景です。美しい街並みが続いています。なお城の城壁の手前には昔の大砲が並べられています。

下の写真はお土産として現地で購入した「エディンバラ城」です。この模型を見るとお城の造りがよく分かります。俯瞰して見ると人々に威厳を示すために美しく作られたお城ではなく、まさに戦うために作られた凄みのある頑強なお城であることが分かります。

エディンバラ城の見学はエディンバラ観光の超目玉だけあって圧巻の観光体験となりました。このお城を実際に見学したことでスコットランド/エディンバラの高い誇り、独立精神などが体感できたくらいの強い印象を受けました。

ところでエディンバラ市内観光では予想だにしていなかった「シャーロック・ホームズ像」にも巡り合うことができました(下の写真)。

実はエディンバラは、「シャーロック・ホームズ」で世界的に有名な作家「コナンドイル」の出身地です。コナンドイルはエディンバラ大学の医学部で学んでいたとも言われています。現在はコナンドイルの生家は取り壊されてしまいましたが、上の写真のようなシャーロック・ホームズ像 (コナンドイル生誕地)が建てられて記念とされています。

シャーロック・ホームズ像はロンドンのベイカー街にもあります。作品中でホームズが助手ワトソンと一緒に下宿していたと言われるベイカー街221B番地は現在「シャーロック・ホームズ博物館」が建っていて多くのホームズファンの聖地となっているそうです。

ロンドンのシャーロック・ホームズ像の方が場所柄有名ですが、エディンバラの像の方は穴場的存在として知られています。

スクーン宮殿

イギリスのスコットランドの首都エディンバラから、北へ観光バスで約1時間のところにあるパースの郊外にある宮殿です。パースは以前スコットランド王国の首都が置かれていたところでこの宮殿はその王宮でした。

この宮殿では歴代スコットランド王の戴冠式が行われていました。王位の継承に不可欠の「運命の石」(スクーンの石)が敷地内にあったということです。宮殿内は豪華な内装がほどこされていて大量の陶磁器などのコレクションが展示されています。

スクーン宮殿はこじんまりとした建物ですが緑の芝生の広い庭が印象的でした。

   

左上の写真はスクーン宮殿の庭にいた孔雀です。右上の写真のようにスクーン宮殿内部の部屋にはマイセンと思われるたくさんの高級磁器が棚に飾られていました。

   

上の3枚の写真はスクーン宮殿近くにあった古い館とそのお庭の様子です。とても素敵なイングリシュガーデンで綺麗な花々に囲まれながら気持ちよく散策することができました。

イングリシュガーデン

最近は日本でも自宅の庭にイングリシュガーデンを作って四季の花々を植えて楽しむ人が増えてきているようです。中にはご自慢の庭を地域の人々に無料開放しているお宅も増えてきました。

そもそもヨーロッパ式ガーデンの主な様式には確立された時期が古いものから順にイタリアン、フレンチ、イングリシュと3種類あるようです。

イタリアンガーデンはルネッサンス期に発展し、噴水、カスケードや池、彫刻などの置物を配した庭造りが特徴的です。特に噴水などの水の芸術性にかなり気を使って庭造りされているようです。

フレンチガーデンはイタリアンガーデンの規則性、対称性の部分が強調され、刺繡のような幾何学模様に刈り込んだ植物が目立っています。フランスのベルサイユ宮殿のお庭がその典型だと思います。

イングリシュガーデンはイタリアンガーデンの不規則性、自然な雰囲気を重んじた草花や木の配置が特徴的です。手前には丈の低い植物を、奥に行くにしたがって次第に丈の高い植物を配していくなどの基本手法があります。

一方日本庭園は、イングリシュガーデンのように不規則性、自然の配置が基本で、見る場所や方向によって風景を変化させたり、日本独特の禅や宗教に関係した心の精神的な世界を体現させるようなお庭造りが主だと思います。

個人的には日本式庭園が最も好きですが、植物を規則的に刈り込んだり、枠にはめたような配置にしたりしないイングリシュガーデンもなかなか素敵だと思っています。

型にはめない自然体の日本式庭園と共通点が多いので、イングリシュガーデンも日本でも人気になっているのだろうと考えています。

ネス湖

ネス湖はスコットランド北部のハイランド地方にあるイギリス最大の湖です。長さ約39キロメートル、幅約2キロメートルの細長い湖で水深は最大で約230メートル、平均水深約132メートルです。

ネス湖はなんといっても未確認生物「ネッシー」が棲むという伝説で世界的に有名で多くの観光客を集めています。ネッシーについては古くはなんと西暦565年から目撃情報があるそうです。

上の写真は神秘的なネス湖の湖面です。当日は天気が薄曇りでどんよりとしていたのでネッシーがいかにも出現しそうな雰囲気ではありました。ツアーの皆でしばし湖面を見渡してネッシーを探しましたが残念ながら何も見つかりませんでした。

   

左上の写真はネス湖の見晴らし台でバグパイプの演奏をしているおじさんです。とても静かな場所にこのバグパイプの音だけが大きく響き渡っていました。

右上の写真はアーカート城の城跡を目指して歩いている私たちのツアーメンバです。アーカート城はネス湖の直ぐ岸辺に13世紀に建てられて17世紀に壊されたということで現在は廃墟のようになっていました。このアーカート城はネス湖観光の中心ポイントになっているようでした。

次の3枚の写真はアーカート城跡の景色です。ネス湖湖岸のすぐそばに建っているのが良く分かります。

   

廃墟となったアーカート城の姿をネス湖と一緒に眺めるとネス湖がより一層ミステリアスに見えてきます。この荒んだ風情の城跡はネス湖観光を盛り上げるのにとてもよい効果を出していると思いました。このお城はこのまま自然に放置し下手に復元しない方が良いのではと思います。

私たちが訪れた時は夏のシーズン中でしたがそれほど観光客は来ていませんでした。

ネッシーの体の一部やさざ波など何らかの異変の目撃情報は古くからたくさんあると聞いていたので、お城の敷地内を散策中にも気になって時々ネス湖の湖面を注意して眺めましたがやはり不自然な波でさえ発見できませんでした。

ネス湖でネッシーをどうしても発見できなかった残念な人には、近くの池でネッシーの姿を見ることができるようになっていました。下の写真のように今にもこちらへ向かって来そうな怖そうなネッシーがいました。

ネッシー伝説の真実を確かめようと昔から多くの研究者や一般の人がネス湖の捜索を行ってきましたが残念ながら現在まで科学的に確認されていません。説としてはアザラシ、クジラ、イルカ、カメ、蛇、魚など色々と唱えられているようです。

一番最近では2018年にニュージーランド・オタゴ大学のニール・ゲメル教授らの研究チームによる大掛かりな湖水のDNAサンプル調査が行われ、結果として特に目立ったものはウナギのDNAだったそうです。そこでネッシーの真の姿はネス湖に生息する巨大ウナギではないかと言われています。

巨大ウナギと言えば、私はすぐに日本の鹿児島県指宿市にある池田湖を思い浮かべます。池田湖には指宿市の天然記念物に指定されている体長が約2m、胴回り50cmの巨大ウナギが棲息しています。池田湖は九州で1番大きい湖で水深233m、周囲15kmの九州一の広さを誇っています。

実は面白いことに水深がネス湖とほぼ同じであるこの池田湖には昔から未確認動物が棲んでいるという噂があって、その名はネス湖の「ネッシー」に倣って「イッシー」と呼ばれています。すぐに想像できるようにこの「イッシー」は池田湖の巨大ウナギである可能性が高いです。

そこでネッシーもオタゴ大学のニール・ゲメル教授らの研究チームの結果のようにやはり巨大ウナギなのでしょうか。

しかし少し腑に落ちないことがあります。地球上の生物は温暖な地域ではたまに巨大化することがあると聞いていますが、温暖な鹿児島にある池田湖とはかなり違ってネス湖はとても寒い地域にあります。その冷たい水のネス湖でウナギが巨大化するのはなかなか難しいように思われます。

結局ネッシーはいまだに正体が分かりませんし、仮に以前生息していたとしてももう絶滅しているかもしれませんので、これからも解明される可能性は低いと思われます。

個人的にはむしろ永久の謎として残される方がはるかにロマンがあってよいと思っています。

ちなみにどうしても仮想のネッシーを体感したいと思われる方は、ネッシー伝説を背景に2007年に制作されたアメリカ映画「ウォーター・ホース」をご覧になることをお勧めします。スコットランドに伝わる伝説の海獣「ウォーター・ホース」と少年の心温まる交流を描いたファンタジー大作でとても楽しめます。

さてネス湖周辺の観光では記念碑の丘にも立ち寄りました。下の写真はスコットランド兵士の活躍を称えたと思われる像ですがとても見晴らしの良い場所に建っていました。

次の写真はスコットランドを観光中に見つけた牛の牧場の様子です。

この牧場ではとても毛の長い牛が飼われていました。この牛はスコットランド産の古い品種でハイランド牛(カイロー牛)とのことです。頑丈な体にもさもさの長い毛はスコットランドの寒い冬や長雨に耐えるためだそうです。

最後に

夏休みに団体ツアーで行ったイギリス観光でしたが、活気のある都会ロンドン、ウインザー城がある素敵な街ウインザー、歴史的景観に溢れたバースやストラトフォード・アポン・エイヴォン、神秘的なパワースポットのストーンヘンジ、絶景が続く湖水地方、そしてエジンバラやネス湖など独特の雰囲気のスコットランドなど盛りだくさんな観光を十分満喫することができました。

雑誌や小説、映画、ドラマなどで見聞きしていたイギリスのイメージとは違って、より広く奥深い魅力を色々と感じることができました。そのような意味では期待を遥かに超える豊かな観光内容となりました。

食べ物ですが「イギリス料理」という言い方があまり聞かれないように昔からそれほど美味ではなかったようです。「フィッシュ&チップス」が有名ですがあまり手が込んだものよりは簡単に調理できるものが好まれているようです。

昔の上流階級の人達がフランスとは違って「食」にあまり関心がなかったということが影響しているとも言われています。

今回の団体ツアーの料理でも特筆するようなものはありませんでした。ただしスコットランドを電車で移動中に添乗員さんがおやつとしてスコットランド発祥の本場のスコーンを配ってくれました。初めて食べる本場のスコーンでしたが素朴な味でとても美味しかったことを覚えています。

聞くところによるとうれしいことに最近ではイギリスでも美味しい料理がかなり普及してきているとのことです。

イギリスには今回訪れなかった気になる素晴らしい場所がまだまだたくさんあります。たとえば、「イギリスで最も美しい村」と言われる村があるコッツウォルズや「イギリスで一番美しい庭」といわれるイングリシュガーデンのお手本のようなダルメインなどです。

また近いうちにあらためてイギリスを訪れてみたいと思っています。

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