海外旅行回想録(18) ー フランス

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではフランス旅行の体験をご紹介します。

18. フランス

数十年ほど前に日本でヨーロッパ観光が人気になり始めた頃は、代表的なヨーロッパ観光ツアーでは、一度に数か国を巡る旅が流行していてフランスは多くの場合その中の大人気の中心国として組み込まれていました。

そのため異なるヨーロッパツアーに参加するたびにたびたびフランスを訪れるという状況になりました。

フランスは昔からヨーロッパにおいて政治・経済・文化で多大なる影響力を持ち、また文化・芸術、料理、ファッション、歴史的建造物、街並みなどどれも洗練されたものが多く、豊富な観光資源に恵まれています。

そのため2019年には観光客数は、5位のイタリア(約6,500万人)、4位の中国(約6,600万人)、3位の米国(約8,000万人)、2位のスペイン(約8,400万人)を上回り約9,000万人にものぼり堂々世界一位の観光大国になっています。

フランスのイメージは幼いころから「お洒落」で「洗練」され、「自由」で「ソフト」な雰囲気だと認識していました。特に日本の女性の間では昔からフランスのファッションや食を中心にとても強いブランド的な人気を誇っています。

数十年前の話ですが、大学で文科系の人は第二外国語としてフランス語を選択することが極めて多く、理系の学生がドイツ語を選択するのとは対照的でした。フランス語の発音はドイツ語と違って柔らかで上品な響きを持っておりフランス語を流暢にしゃべる日本人を何故かうらやましく思った時期もありました。

フランスは以前イギリスのように世界中に進出し多くの植民地を有した時期もあり、いまでも世界中にフランス語は行き渡っています。ナポレオンを生んだ国でもありフランスは昔から軍事面でも勢いを持った強国でした。

ところでフランス国旗の青・白・赤の三色旗(トリコロール)が「自由・平等・博愛」を表すことから分かるように、フランスの人は「自由」を日常生活でとても尊重し、また実践しているように思えます。

以前仕事の関係で十数名のフランスの人たちと会議を開く機会がありましたが、ミーティングルームでのフランス人同士のおしゃべり(いわゆる私語)が際立っていてたびたび会議の進行にも差しさわりがあったことを覚えています。一瞬ですが小学校の学級崩壊のような状況になりました。ことほどさように日本人とは違って何かに規制される、縛られることが苦手のようでした。

私も今までに3度ほどフランスを訪れる機会があり、フランスのパリで最も好きな場所の一つであるルーブル美術館にも3度訪れています。

フランス観光で訪れた時はいつもほとんどパリの観光だけで終わることが多く、ニースに行った以外は時間の関係や天候の関係で郊外など広範囲に観光する機会にはなかなか恵まれませんでした。

この記事では主にパリ観光での回想をご紹介したいと思います。

パリ

三十年ほど前に初めてフランスのパリを訪れた時はJALパックという日本航空のパッケージ・ツアーを利用しました。

そのため宿泊したホテルは「ホテル・ニッコー・ド・パリ」という日航のホテルでした。日航ホテルは当時とても目立っていてJALが飛ぶ世界中の主要都市には必ずあったように思います。

このパリのホテル・ニッコー・ド・パリは1976年に開業し、セーヌ河畔の15区、再開発地区に建つ赤い外壁の高層ホテルで、あの有名な建築家である黒川紀章氏の設計だということです。

しかし2001年に売却され2002年からノボテル・パリ・ツール・エッフェルという名称に代わっているそうです。

上の写真は宿泊した部屋の窓からパリの街並みを見た風景です。このホテルは外観は素敵な赤色基調の高層ホテルですが、部屋は残念ながら他の海外のホテルに比べてかなり狭く、またベッドもサイズが小振りで造りやクッションもあまり良くなかったことを今でも覚えています。

日航ホテルは世界各地にあり日本人スタッフも勤務しているというサービス上の安心感はありましたが、その後の海外旅行では再び宿泊することはありませんでした。ただし場所としては観光にはとても便利なところでした。

エッフェル塔

   

左上の写真はエッフェル塔で右上の写真はエッフェル塔そばの公園広場です。エッフェル塔はパリ観光のシンボル的存在で大人気の場所になっており私たちが訪れた時も沢山の観光客で賑わっていました。

高さ324メートルを誇るエッフェル塔は1889年にフランス革命100周年を記念してパリで開催された第4回万国博覧会に合わせてギュスターヴ・エッフェルによって建設されたそうです。

東京タワーはご存じのようにインターナショナルオレンジ(赤ではありません)と白で目立つように綺麗に塗装されています。このオレンジ色は航空法で定められた「昼間障害標識」と呼ばれる色で航空機が認識しやすい色だそうです。

こちらのエッフェル塔の色は東京タワーと比較するととても地味で、最初は鉄骨に錆止めを塗っただけだと思っていましたが、実はちゃんと茶色系の塗装が施されてきたそうです。多分街並みの景観に素直に溶け込むことを狙った色合いだと思われます。

2024年のパリのオリンピック・パラリンピックまでには何と金色に近い色で全面的に塗り直される予定とのことです。

エトワール凱旋門

   

左上の写真は凱旋門で、右上の写真は凱旋門の右側の柱の彫刻「ラ・マルセイエーズ」です。

この彫刻の上部で左手を上げて民衆を鼓舞している翼が生えた女性が勝利の女神「ニケ」だそうです。この「ニケ」はフランスの自由の女神「マリアンヌ」を連想させます。「マリアンヌ」はルーブル美術館所蔵のドラクロワの絵「民衆を導く自由の女神」で描かれています。

凱旋門は実物を間近で見ると、思っていたより大きな建造物でその重厚感に圧倒されました。

パリ・オペラ座

上の写真は観光バスの中から撮影したパリ・オペラ座(ガルニエ宮)です。

現在オペラ座と言えばこのフランス観光から間もなくしてニューヨークのブロードウェイで見たミュージカル「オペラ座の怪人」をすぐに思い浮かべます。

「オペラ座の怪人」はミュージカルファンの人だけでなく多くの人に感動を与えた世界中で大ヒットしたミュージカルです。1986年にロンドンのウエストエンド、1988年にニューヨークのブロードウェイと日本でも公演が始まりそれ以来現在まで驚異的なロングラン公演が続いている作品です。

現在までに世界で約1億4500万人、日本でも劇団四季による講演で約700万人が観劇したと言われていてミュージカル史上最も有名な作品ではないかと思います。

このミュージカルは豪華な舞台設備・装飾、衣装、役者、楽団など、また劇場内の天井のシャンデリアを実際に落下させるサプライズ的な演出など大変にお金がかかっているとのことですが、素晴らしい歌・音楽と共に強く思い出に残る感動的なショーです。

私もニューヨークのブロードウェイで初めて見た時には帰り際に売店で歌が収録されたCDを購入し今でも時々聞いて楽しんでいます。老若男女を問わずどなたにでもお勧めできる最高レベルのミュージカル作品です。

芸術家の街 モンマルトルとモンパルナス

下の写真はモンマルトルの丘の風景で白い建物はサクレ・クール寺院です。

モンマルトルの丘はパリで一番高い丘(標高約130m)で人気の観光スポットになっています。

モンマルトルは昔から「芸術家の街」として賑わっていました。特に19世紀後半には多くの印象派の画家達がアトリエをかまえ、ルノワール、セザンヌ、モネ、ゴッホ、ピカソなどそうそうたる有名画家たちが居を構えていたそうです。

またお洒落なカフェやパン屋さんが多く建ち並び、世界中からたくさんの観光客を引き付けています。
   

左上の写真はモンマルトルの丘から下る階段の様子ですがとても雰囲気が良く、そぞろ歩きを楽しめる場所です。

右上の写真は丘から眺めたパリ市内の景色です。ここからですとパリ市内全体が見渡せます。モンマルトルの一番の繁華街はテアトル広場です。多くの画家が集まっていて、絵画ショップや似顔絵を描いてくれる画家さんたちが所狭しと並んでいました。

自由行動では、ツアーグループの中の2~3人が自分の似顔絵を描いてもらっていました。

私は絵画ショップをゆっくりとはしごして絵画鑑賞を楽しんだ後、スーツケースの底に簡単に入る小型サイズの風景画を2~3点購入しました。

そのうちの2点が右の写真のような風景画です。

上の写真はモンパルナス大通りにある有名な老舗のカフェ「ラ・ロトンド」の写真です。モンパルナスは、モンマルトルのセーヌ川対岸にあります。1920年代にモンマルトルからモンパルナスに芸術・文化の中心が移っていったそうです。

上の写真のような老舗カフェには当時よく多くの画家が集まっていたと言われています。その中にはモディリアーニや藤田嗣治もいたそうです。

ノートルダム大聖堂

上の写真は正面から見たノートルダム大聖堂の上部です。

     

左上の写真はノートルダム大聖堂の入口の様子です。写真のように入り口付近は観光客で大変混雑していました。

ノートルダム大聖堂は、パリ・カトリック教区の中心となる大司教座聖堂として、パリ発祥の地のシテ島に建てられています。12世紀に当時最先端の建築技術で建てられたゴシック様式最高峰の建築物でユネスコの世界遺産にも登録されています。

ご存じのように残念ながら2019年4月15日に発生した原因不明の火災で大きな損傷を受け現在修復作業が行われているところです。

ノートルダム大聖堂の存在は、自分が幼少のころにたまたま見た1939年制作の古いアメリカ映画「ノートルダムのせむし男」で初めて知りました。当時はまだカラーではなく白黒の映画でしたが、せむし男の印象があまりにもインパクトが強く記憶に長く留まることになりました。

このパリ観光の時に初めてノートルダム大聖堂を訪れましたが、その映画で見た場面を色々と思い出しながらの見学となりました。荘厳な建物で、あらゆる場所に施された彫刻も繊細で、内部から見た豪華なステンドグラスも見事でした。現在は年間約1,200万人が訪れるパリ屈指の観光スポットになっているそうです。

ナポレオン廟

   

左上の写真はドーム教会の入口付近です。右上の写真は内部の祭壇です。

ナポレオン廟は、1671年ルイ14世が傷病兵を看護する施設として建設した旧・軍病院(廃兵院)である「アンヴァリッド」に付属するドーム教会の中にあります。

教会地下にはその中央に「ナポレオン・ボナパルトの柩」が置かれています。またそれを囲むようにナポレオンの親族やフランスの著名な将軍の廟が置かれているということです。

ナポレオンの棺は見たことがないような巨大で重厚な造りの赤瑪瑙の石棺でとても手厚く葬られていることが分かります。

ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)はフランス革命後の混乱を収拾しフランス第一帝政の皇帝を務めた英雄といわれています。

子供のころ「我輩の辞書に不可能という文字はない。」というナポレオンの有名な名言を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。子供ながらになかなか勇気・希望をもらえる良い言葉だと感心した覚えがあります。多少自信過剰気味ではありますが。

その他気に入った言葉には次のようなものもあります。
・「勝利は、もっとも忍耐強い人にもたらされる。」
・「リーダーとは『希望を配る人』のことだ。」
・「人間は、その想像力によって支配される。」

軍事の天才と言われるナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の陸軍士官学校の教材となっていて、敵の弱点をうまく突く攻撃主導型の戦術が得意で、特に敵が動き始めた「動的」状態に勝機を見出す戦術が有名だそうです。

ナポレオンの戦争以外の大きな功績の一つは、革命が目指した理念を法的に体系化したフランス民法法典(ナポレオン法典)を著したことです。ナポレオン法典は過去の封建制を終わらせ、自由、平等、人権を尊重するフランスを築く基礎になっただけでなく、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなっているそうです。

そしてナポレオンは近代的かつ強力な中央集権国家を創設し発展させました。それは現在の政府の鋳型ともなっているそうです。

ただ最近になってナポレオンの女性差別、奴隷制復活などが問題視されており、英雄というより独裁者として認識される状況も見うけられるようです。

なお、ナポレオンがヨーロッパで命運をかけて臨んだ最後の戦いは1815年のワーテルローの戦い(ベルギー)ですが、その様子や敗因についてはこのブログの「海外旅行回想録(9) ー ベルギー」の中で詳しく紹介していますので関心のある人はご参照ください。

左の写真はカルーゼル凱旋門です。

パリ随一の観光地ルーブル美術館の前にある小規模ですが美しい凱旋門です。

1805年のナポレオンの勝利(オーステルリッツ、ウルム、ティルズィットの戦いなど)を記念して1809年に建てられたそうです。

ルーブル美術館

ルーブル美術館は世界の三大美術館、四大美術館などのランキングには必ず入るような極めて人気の高い美術館です。

総面積が6万平方メートルにもなり世界最大級の広さを誇り、彫刻や絵画や古美術品など30万点を超える膨大な量の作品を所蔵しています。世界で最も多い毎年800万人以上の観光客が訪れていると言われています。

元々は1190年ごろ王宮として作られ、フランス革命後の1793年に王家や貴族が所有していた美術品を一般公開する目的でルーブルは美術館となったそうです。

私は今までに3度訪れていますがまだまだ鑑賞していない作品も数多くあります。個人的には世界で最も好きな美術館の一つです。

上の写真はルーブル美術館の荘厳な建物の外観です。世界のトップレベルの美術館に相応しい雰囲気をもっています。

   

左上の写真はルーブル美術館に入場する人たちが長い列を作って待っている様子です。また右上の写真は入り口付近を撮影した写真です。これらの写真のようにいつ行っても大変多くの観光客で賑わっていました。

ルーブル美術館はあまりにも広く、見るべき作品もたくさんあるので参観時間が限られたツアーで訪れると、ガイドさんがあらかじめ決めた作品だけを急ぎ足で見て回るスタイルになります。気に入った絵でもじっくり鑑賞する時間はなく、あっという間に次の作品の場所へ移動するように促されてしまいます。

また当時は、現在の団体ツアーではごく当たり前になっているガイディング・レシーバーという便利なツールが普及していなかったので、広いフロアのあちらこちらで同時にいくつものツアーグループのガイドさんが大きな声を出して作品の説明をする光景が見られました。

人気の作品の前ではいつも人だかりができていて作品をちゃんと見ることが難しく、最も困難を極めたのはやはり何といってもレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」です。

絵自体が思ったより小さくまた特別な厳重なガラスのような囲いで保護されていたために、ものすごい人だかりに揉まれながらの鑑賞は過酷でした。立ち止まって鑑賞することが難しかったので写真もまともには撮れませんでした。

当時、最新の一眼レフカメラを持参していましたが、現在のような高機能な手振れ防止・補正機能などはなく、このモナ・リザもそうですが、他の絵画や彫刻の写真もほとんどがピンボケの状態で写ってしまっていました。また当時のカメラはデジタルではなくアナログでしたので、その場で写りを確認し撮りなおすことも不可能でした。

上の絵は1830年制作のウィジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」です。1830年7月に起こったフランス7月革命をテーマに描いた作品で、絵の中央に大きく描かれている女性はフランス共和国という国家自体を擬人化した人物「マリアンヌ」だそうです。

この絵は日本でもかなり有名で、子供のころから教科書や雑誌などでたびたび目にしてきました。フランスの歴史上戦いの女性リーダーとしては「ジャンヌ・ダルク」が有名ですが、この絵についてまだよく知らなかった頃は、この絵の主人公がジャンヌ・ダルクであると勘違いしていました。

ところでアメリカ独立100周年の記念にフランスから贈られたニューヨークの自由の女神像は、この絵のマリアンヌをモデルにして作られたと言われています。

また世界的に大ヒットしたミュージカル「レ・ミゼラブル」ですがこの中で重要な役回りを演じる特徴的な少年「ガヴローシュ」は上の絵の自由の女神の左横で両手にピストルを持っている少年がモデルだといわれています。

このようにこの「自由」を象徴する絵は後世の色々な芸術家に大きな影響を与えてきました。

   

左上の写真は、1818年〜1819年制作のテオドール・ジェリコーの「メデューズ号の筏」です。フランス・ロマン主義絵画の代表作で、実際に1816年7月2日に起こったフランスの帆船メデューズ号の難破事件をもとにできる限り事実に忠実にかつダイナミックに表現しています。

この絵はその後ウィジェーヌ・ドラクロワなどにも影響を与えたと言われていて、上のドラクロワの「民衆を導く自由の女神」とピラミッド型の構図や人物の描き方、空の雲、光の状況などどことなく似通っているようにも見えます。

右上の写真は、日本でも極めて有名な彫刻「ミロのビーナス」です。1820年にエーゲ海のミロ島で農夫に発見されたものですが、ヘレニズム美術の代表的な遺品と言われています。

一説にはそれらしき両手も同時に発見されているそうですが、何らかの理由でビーナス像の完全復元までにはいたっていないようです。むしろ両腕がないままの方が、見る人によって色々な想像を掻き立て、より印象深い作品になっていると評価する意見もあるようです。

ルーブル美術館では、周りから360度鑑賞できるように展示されていて、皆ぐるっと一周しながらこの見事な美しい彫刻を眺めていました。

   

左上の写真は、コンコルド広場の中心にあるオベリスク(ルクソール・オベリスク:クレオパトラの針)です。このオベリスクはエジプト・ルクソールのルクソール神殿にラムセス2世によって立てられた一対のオベリスクのうちの1本で19世紀にパリに運ばれてきたものです。

このオベリスクの材質は赤色花崗岩で高さは約23メートルあります。近寄って見るとなかなか立派なオベリスクであることが分かります。

右上の写真は、オベリスクの台座の北面の拡大写真です。ここにはルクソール神殿の正面右側に建っていたオベリスクを搬出する様子が描かれています。台座には東西南北のそれぞれの面に碑文などがあり、南面にはコンコルド広場にオベリスクを立てた時の様子が説明されています。

   

左上の写真は年末のイルミネーションが輝くシャンジェリゼ通りの様子です。お買い物客で賑わっていました。

右上の写真はリヨン駅構内の様子です。オレンジ色に塗られたTGV(フランス国鉄が運営する高速鉄道)の車両が停車しています。

   

左上の写真はパリの裏通りの風景です。右上の写真は観光バスから撮影したパリ郊外の村の風景です。ヨーロッパの多くの村がそうであるようにやはり教会を中心に村が構成されています。

ヴェルサイユ宮殿

フランス観光のもう一つの目玉はヴェルサイユ宮殿です。

ヴェルサイユ宮殿はパリの南西約20kmのヴェルサイユにあります。この宮殿は1661年に太陽王ルイ14世により「有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿」を目指してありとあらゆる装飾を施し贅の限りを尽くして建設されました。このためフランス中の建築家、画家、彫刻家、造園家、そして何万人という労働者が駆り出されたそうです。

最初のころは国王の居城として使われてきましたが、1837年にフランス歴史博物館として生まれ変わりました。1979年にはヴェルサイユ宮殿と庭園がユネスコの世界遺産に登録されました。

上の写真はヴェルサイユ宮殿観光のために並んで待っている観光客です。こちらもルーブル美術館同様に入場のための長い待ち行列ができていました。

上の写真は最も有名な「鏡の間」の様子です。回廊の長さは約75m、幅は約10m、高さは約12mもあり17組の巨大な窓と578枚もの鏡が壁一面に張られています。当時鏡は大変高価で貴重であったためにこの部屋で国王の威厳が示されるほどであったそうです。

この鏡の間は色々な公的行事や外交の場として利用され1919年の第一次大戦を帰結する「ヴェルサイユ条約」もこの場所で調印が行われたとのことです。

この鏡の間ですが、第一印象はたくさんの豪華で綺麗なシャンデリアが目立っていたので「シャンデリアの間」かと思ったほどです。

ヴェルサイユ宮殿では、この鏡の間をはじめ数十に及ぶ個性的な絢爛豪華な部屋が見学できるようになっていました。下に色々な部屋の天井画などの写真のいくつかを掲載しておきます。いずれも宗教画や戦争画など見事な絵が描かれていました。

   

      

右上の写真は壁に賭けられたとても大きくて豪華なタペストリーです。その大きさに驚かされます。

   

左上の写真は王室礼拝室で、奥の中心部にはパイプオルガンが見えています。また右上の写真はお庭の噴水のある池の風景です。

ベルサイユ宮殿はとても広いので観光で一通り巡るだけでも大変でした。しかし世界一とも言える絢爛豪華な宮殿の興味深い部屋やフランス式庭園などをゆっくりたっぷりと観光できてとても楽しめました。

パリでのちょっとした出来事(その1)

年末にパリ観光をしたときにツアーグループでディナーへ行きました。ちょっと特別なディナーで、当時日本でもお馴染みだった若手女性歌手であるダニエル・ビダルさんのライブ出演が付いていました。昔日本で大ヒットした歌を披露してくれました。

その時のことですが、同じテーブルになったあるご家族の父親がディナーで出された子羊のフランス料理がお気に召さなかったようで、食事の途中で「やはり牛肉のステーキが食べたい!」と叫んで突然テーブルを中座してしまいました。

残された奥さまや子供たちは他の人達にお騒がせして申し訳なさそうにしていました。後で聞いた話ですが、その父親はその後実際一人で他のレストランへ行って牛のステーキを食べてとても満足げにホテルへ戻ってきたそうです。

徹底して「我が道を行く」というその父親の行動力に少しは驚きましたが感動さえ覚えた記憶があります。

ところでこのご家族はとてもユニークで、フランス旅行中にお土産をたくさん買いすぎてしまいついにお土産を収納するためだけに現地で大型のスーツケースを購入する羽目になってしまいました。

パリでのちょっとした出来事(その2)

大晦日のパリのホテルのロビーで少しくつろいでいた時のことです。偶然にも日頃日本で仕事でご一緒している人に出会ってしまいました。

このような時にはとても複雑な気持ちに襲われます。少しうれしい面もありますが、どちらかというと正直なところ残念な気持ちの方が強いです。

そもそも海外旅行の一番の醍醐味は何といっても「非日常」にどっぷりと浸れることですが、現地で日本の日常の知り合いに出会ってしまうと、せっかく楽しんでいる「非日常」から「日常」へと気分が一気に引き戻されてしまいます。相手の人も少なからず同じように感じているものと想像されます。

海外旅行中に知り合いに会ってしまうというこのような不運は、今までにこのパリの件を含めて3回もあります。

ニューヨークのブロードウェイのミュージカル劇場のロビーで遭遇した件ともう一つは中国の北京のお茶屋さんの売り棚の通路で遭遇してしまった件です。

過去に3回も起こったということは今後もさらに起こることが予想されます。もしもこちらが相手を先に発見した場合は、少し冷たいようですが、敢えて声をかけないでおくのがお互いのためかなと思ったりもしています。

終わりに

フランスはさすがに観光大国だけあって、パリとその周辺を回るだけでもとても楽しめる国です。文化・芸術、料理、ファッション、歴史的建造物、街並みなど豊富な観光資源に恵まれています。

ツアーでは何度も美味なフランス料理を味わうことができました。またなぜか「あこがれのフランス(パリ)」というイメージのためか、街歩きをしてウインドウショッピングするだけでも楽しく充実した気分に浸ることができました。

フランスでは昔から日本文化・芸術や日本食が人々に人気が高く、最近では日本のアニメもブームになっているようなので、そのような意味では親日国だということができます。

次にフランスに行く機会があれば、是非モネの家とバルビゾン村を訪れたいと思っています。バルビゾン村は19世紀にジャン=フランソワ・ミレーに代表される風景画家たちが集まり「画家たちの村」と呼ばれていた有名な場所です。

フランスはヨーロッパの中心観光国ということですので今後も何度か訪れる機会があるだろうと楽しみにしています。

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