海外旅行回想録(19) ー イタリア(前編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではイタリア旅行の体験をご紹介します。

19. イタリア(前編)

イタリアは、豊富な世界遺産、古い街並み、最先端のファッション、優れたデザイン、おいしいイタリア料理など多様で豊かな観光資源に恵まれた言わずと知れた観光大国です。

首都ローマを筆頭に、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ナポリ、ピサ、ベローナなど各地方都市もそれぞれ魅力ある独特の個性をもっていて、何度でも訪れたくなる国です。

日本では特に女性の間で人気が高いようで、イタリア観光のリピーターになってしまう人も多いと聞いています。

イタリア料理はその独特の美味しさで世界中に広く普及していて、どこの国へ行ってもイタリア料理のレストランを街中でたくさん見かけます。

私も個人的には日本料理、中華料理と共にイタリア料理もとても好きです。イタリアへの観光旅行中、朝食、ランチ、ディナーといただく食事はまったくはずれはなくどれもとても美味しくて飽きることがありませんでした。

初めてイタリアに行ったときのことです。飛行機がイタリアの空港に到着し、滑走路に無事に着地した瞬間、客室から突然大変な拍手と歓声が上がったのがとても印象的でした。

そのようなことは他では全く経験がなかったので、最初は何が起こったのかと驚いてしまいました。どうもラテン系の乗客が多い時には「無事に着陸できた!」という喜びとうまく着陸させたパイロットやクルーへの感謝の気持ちで自然と拍手と歓声が沸き起こるということのようです。

ラテン系の人達の多くはとても明るくて陽気で人生を楽しむのがうまいと言われていますが、上のような場面に出くわすと、そのようなイタリアの人達の人生観の一面を見たような気持ちになります。

イタリアは今までに2回訪れ、主にローマ、ミラノ、ベローナ、ベネチア、フィレンツェ、シエナ、ピサなどを観光しました。

この記事ではイラリア観光の前編として、ローマ、ミラノ、ベローナの観光をご紹介します。

ローマ

ローマは紀元前800年頃に築かれ、紀元前7世紀頃には都市国家として整備が進み、ローマ帝国の首都となった皇帝アウグストゥスの時代には約100万人が居住する世界最大の都市となり大いに発展してきたそうです。

ローマは「永遠の都」と称される古代都市で、古代ローマ時代の遺跡と中世のバロック建築物が混在する歴史的な町並みは世界でも類を見ない圧巻の魅力を備えています。

ローマについては子供のころから歴史の教科書などを見てよく知っていましたが、1953年製作でオードリー・ヘプバーン初出演のアメリカ映画「ローマの休日」を見たことで有名な観光地をもっと詳しく知ることとなりました。

最初にローマを訪れた時には、この映画でのシーンを回想しながらの観光となりました。

上の写真はローマで最も有名な観光地の一つであるスペイン広場のスペイン階段です。

階段の先に見える白っぽい教会は「トリニタ・ディ・モンティ教会」でこの階段も「トリニタ・ディ・モンティ階段」が正式名称です。

イタリアのローマにあるのにスペイン広場というのはなぜだろうと以前から不思議に思っていましたが、実はたまたまスペイン大使館が近くにあることからこれが通称として広まったそうです。

当時は階段の途中に似顔絵書きの人などがいたりと観光客で賑わっていました。この場所もアメリカ映画「ローマの休日」でロケ地になったことでよく知られています。

上の写真は有名なトレビの泉です。都会の真ん中にあって噴水から流れ落ちる水や清らかな水を蓄えた池はとてもさわやかな気分にさせてくれます。最初に見た時は予想していたよりはるかに大きな噴水にとても驚きました。

この泉は教皇クレメンティウス12世の命によって1762年に完成したそうです。背景として後ろの宮殿をデザインに取り込み、海の神をイメージしたバロック式の美しい彫刻が魅力的です。

「トレビ」の名は泉の前の広場に3本の街路が集まることに由来して命名されたという説が有力ですが、ローマから電車で約1時間30分のところにあるイタリアで最も美しい村である「トレビ」から切り出してきた石が建設に使われたからというような説もあるようです。

トレビの泉では、後ろ向きにコインを泉に投げ入れる風習があり、現代では「1枚投げればまたローマに来られる」、「2枚だと好きな人と一生一緒にいられる」、「3枚だと嫌いな夫や妻と別れられる」というおまじないになっています。

私たちが訪れた時も泉の周りはかなりの人だかりができていて、写真を撮る人やコインを投げ入れる人達でごった返していました。

上の2枚の写真は古代ローマ人のための最高の娯楽の殿堂であったフラウィウス円形闘技場、通称コロッセオです。コロッセオは紀元80年にローマ皇帝ティトゥス帝の時代に建設されました。

中国の万里の長城に続き、世界で2番目に年間の訪問者数が多い観光スポットだそうです。

約5万人を収容したといわれるこの闘技場では、剣闘士同士また剣闘士と猛獣を戦わせたり、木製の床を取り外して水をはり模擬海戦も行われたようです。観客はその勇ましくて残酷な様相に大いに熱狂し楽しんだと言われています。一説には政治に不満を持つローマ市民の不満のはけ口として利用されたとも言われています。

観光では残存している建物部分しか見学はできませんが、ローマ時代のほぼ完全な姿を再現した様子が見たい人は2000年制作のアメリカ映画「グラディエーター」を見るとそれが良く分かります。

「グラディエーター」の主演俳優は、「ロビン・フッド」や「レミゼラブル」などで有名なニュージーランド出身のラッセル・クロウで、世界的に大ヒットした作品です。第73回アカデミー賞(5部門)を受賞しています。

グラディエーターは剣闘士のことで、強い剣闘士は、地方の小規模な闘技場から始まり、次第に町の中規模の闘技場での戦いへと出世していき、最後に行きつく巨大で最高峰の闘技場がこのローマのコロッセオだということです。

映画「グラディエーター」ではこのような過程が詳しく描かれていて当時の剣闘士やローマ市民の様子が良く分かります。

上の写真はティトゥス凱旋門です。ローマ帝国第11代皇帝であるドミティアヌスが、伯父ティトゥス将軍がエルサレム攻囲戦で勝利したことを祝して西暦82年に建てたものです。

この凱旋門は、16世紀以降に建てられる各地の凱旋門のスタイルの手本となり、その中にはパリの有名なエトワール凱旋門も含まれているとのことです。
上の写真でも分かるように私たちが観光した当時、古代ローマ時代の遺跡の発掘、調査、復元がローマの各地で行われていました。ローマは遺跡の宝庫でどこを掘っても遺跡が出てくるのではないかと思われるほどでした。
   
上の写真はローマ観光中に撮影した街角の風景です。古ぼけた建物も目立ちますが、遺跡の街ローマ独特の雰囲気を醸し出していてとても素敵でした。
ミラノ

ミラノは歴史とモードが融合するイタリア屈指の観光都市です。ミラノコレクションが開かれることでも知られる最先端ファッションの街で、イタリアの最新モードはこの街から発信されているそうです。

歴史スポット、美術、建築物など見所に溢れとても印象深い街になっています。

ミラノ大聖堂(ドゥオモ)

上の写真はミラノ観光の目玉であるミラノ大聖堂(ドゥオモ)です。私たちが訪れた時もドゥオモ広場は観光客でごった返していました。

ドゥオモは1386年~1813年にかけて建設された世界最大級のゴシック建築で、白大理石で作られた外装をはじめ建物内外で精緻で豪華絢爛な装飾が施されています。内部のフレスコ画や彫刻、ステンドグラスなども見事です。

ドゥオモ屋上に登れるようになっていて、屋上からはミラノの美しい街並みが一望できます。

   

左上の写真はドゥオモの屋上の様子です。かなり広いテラスになっていました。

右上と左下の写真は屋上から下を眺めた街角の風景です。人や車がかなり小さく見えて、ドゥオモの巨大さが実感されます。

   

右上の写真はドゥオモ内部のステンドグラスの一部です。キリスト教に関係する多くの場面が精巧に描かれていました。

ドゥオモはさすがにミラノ一番の観光スポットであるだけに外も屋上も内部も多くの観光客で賑わっていました。さらに最初の写真にも写っているように広場にたくさんのハトが群れていたのには驚かされました。

ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリア

  

左上の写真はヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリア前の広場です。

右上の写真はガレリアの中を散策しているところです。この写真の左下付近に写っている人たちは私たちのツアーグループの方々です。10名程度の少人数グループでした。

このアーケード街は1865年から1877年の間に建設され、通りはガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われており、ヴィトンやグッチなどの高級ブランド店やその他のお店、レストランやカフェなどが入っています。

ちなみに東京ディズニーランドのワールドバザールはこのガレリアをモデルに作られているとのことです。このイタリア旅行から数年して、東京ディズニーランドのワールドバザールを初めて訪れた時には何故か以前来たことがあるようなデジャブ的な感覚になったことを覚えています。

ツアーではここでしばし時間を取って、皆思い思いにショッピングや散策を楽しみました。

不快なトラブルに遭遇

実はこのガレリアを散策中に今でも忘れることができない不快なトラブルに遭遇してしまいました。

通りを歩いていると前の方から3人の小柄な中年の婦人が寄ってきました。3人はお互いにぴったりと肩を寄せ合い、それぞれの手には刺繍を施したような白っぽい布が数枚ありました。

この3人の婦人は私の体を前面から取り囲むように触れ合うほどに近くに寄ってきて、何やら「刺繡を買ってください!」というようなことを言ってきました。

訳が分からないままに目の前にかざされたその刺繍を見ていると、左前にいた一人の婦人が持ち上げた刺繍の下から手を伸ばして、何と私の服のポケットに手を突っ込んできました。

スリにしてはあまりにも強引でバレバレでした。すぐにその腕を振り払って、被害を未然に食い止めました。もちろんその3人の婦人はグルで、観光客を狙ったセミプロらしきスリ集団でした。

刺繍の布をたくさん前に広げて抱えて、相手の視線をさえぎり、その下から手を伸ばしてきて、ポケットなどの財布を探るというような大胆な手口だったのです。

私が大声で「スリだ!」(英語)と叫ぶとその3人はそそくさとその場から逃げていきました。

その直後、近くにいた通行人の何人かが私に声をかけてくれて、「ここはスリが多いから十分に注意してね!」などと言ってくれました。

当時イタリアには外国などからロマ(元の呼称はジプシー)と言われる人々が入り込んでいて一部の悪い人がスリなどをしているではないかという噂を聞きました。

とにかく日本では考えられないような嫌なトラブルでヨーロッパならではの体験だと納得しました。この体験のおかげで、このイタリア旅行以来、海外でのスリや窃盗などには一層注意するようになりました。

サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会

上の写真の右側の赤レンガの建物はサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会の入口です。

この教会は、隣接するドメニコ会修道院の食堂の壁に巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から1497年にかけて描いた「最後の晩餐」があることで有名になりました。

1980年には、この教会と隣接する食堂などの敷地内一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されています。

上の写真は世界的にあまりにも有名な壁絵の「最後の晩餐」です。

この絵には、キリストが12人の弟子の中に自分を裏切るものがいることを告げた直後の場面が劇的に描かれており、様々な謎が絵の中に隠されていると言われ、今でも完全には解明されていないそうです。

上の写真でも分かるように私たちが訪れた時は、絵の大規模な修復作業中でした。絵をよく見ると人の顔などがかなりかすんできている様子が分かります。写真の左側に見えている数本の斜めの黒いパイプは修復のため組み立てられた足場の一部です。

この実物の絵を目の前にして、歴史上あまりにも重要な場面を描いたとても貴重な絵だということで一瞬息を飲むような強い感銘を受けたことを覚えています。

なお、この絵でダビンチは西洋絵画としては初めて「遠近法」の透視図法の構図を使ったそうです。

壁、天井、机などから導き出せる線をたどると全てイエスの顔の右頬に集まります。いわゆる構図でいう消失点がキリストの顔に位置しているということです。

このような構図をとることでダヴィンチはこの絵を見る人の視線を最後はすべてキリストの顔へと導こうとしたものだと思われます。方向を逆にみるとキリストの顔から光(風景)が四方八方へと神々しく広がっているような雰囲気を感じることができます。

スフォルツァ城

スフォルツァ城はミラノにあるルネッサンス期最大の宮殿です。1450年にミラノ公爵であったフランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城跡に建築したものだそうです。

その後、フランス軍やスペイン軍の攻勢に遭いながら改装・増築され、ヨーロッパ内でも屈指の重厚なより強固な石造りの城塞となりました。

現在この城には、古代ローマ、エジプト美術、楽器、陶器、絵画、彫刻などを展示した博物館があります。ミケランジェロの未完の傑作「ロンダニーニのピエタ」とレオナルド・ダ・ヴィンチが設計した「板張りの間」というルネサンスの巨匠の作品も見学できます。

上の写真はお城のとても広々とした中庭の様子です。

    

左上の写真はスフォルツェ城の正面にある高さ109mのフィラレーテの塔です。彫刻家・建築家のフィラレーテによる設計だそうです。

上の真ん中の写真は、城の壁に彫られた紋章のような装飾です。右上の写真は城の建物の一部ですが一面に緑の苔が素敵な感じで生えていました。

その他の観光スポット

上の写真はイタリアを代表する歌劇場スカラ座です。

聖マリア・アラ・スカラ教会の後に建てられたためこの名称が付いたと言われています。1778年8月3日の開場以来数々の著名なオペラが初演されてきて、まさにイタリア・オペラの歴史そのものといえます。

上の写真はセンピオーネ公園とその北西端に位置する通称ミラノの凱旋門「平和の門」です。

昔スフォルツァ家が狩に使っていた森の一部からできたセンピオーネ公園はミラノ最大の緑のエリアになっています。スフォルツェ城からセンピオーネ大通りまでの広大な広さを誇っています。

センピオーネ公園はミラノの初の芝生式公園です。ナポレオンの勝利を褒めたたえて、白い大理石の凱旋門がこの公園の北西門前に建てられています。この凱旋門は、パリの凱旋門より少し小さく高さ25メートル幅24メートルの大きさです。

公園に足を踏み入れるととても広々としていて爽快でミラノとは思えないほどの気持ちの良い場所でした。

   

左上の写真は街角で見かけたオベリスクです。ローマ時代にはエジプトからたくさんのオベリスクが持ち込まれてきたと言われています。

右上の写真は1881年に開館したポルディ・ペッツォーリ美術館の入口付近です。ここにはミラノ有数の貴族ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリが収集した300点以上の絵画、彫刻、調度品が展示されておりヨーロッパ有数の豪華な邸宅美術館になっています。

ベローナ

ベローナは、シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」や「ヴェローナの二紳士」の舞台になったことで有名な街です。中世のイタリアを感じさせる美しい町並みもとても魅力的です。

ベローナは古代ローマ時代の円形闘技場を始め、中世の価値ある建物などが残されており「ヴェローナ市」として 2000年に世界文化遺産に登録されています。

観光旅行の前宣伝では「ロミオとジュリエット」の舞台見学がとても強調されていましたが、実際に訪れてみるとどちらかと言えばベローナの街並みの素晴らしさがとても印象的でした。

上の写真は青空に赤色の屋根瓦が映えるベローナの美しい街並みです。

アレーナ・ディ・ヴェローナ

上の写真はアレーナ・ディ・ヴェローナという古代ローマ時代に作られた円形闘技場です。ローマの闘技場に比べて一回り小さいですがそれなりに立派な建物だと思います。

上の写真にもあるように場内は綺麗に整えられていて、現在でも夏期の屋外オペラ公演などで使われているそうです。

カステルヴェッキイオ城

ベローナで一番有名な古城はカステルヴェッキイオ城で、中世にベローナの統治者が邸宅として使用していた巨大なお城です。

今はベローナで指折りの博物館となっていて絵画、彫刻、コイン、調度品など中世の豊富な所蔵物を誇っています。ツアーではたっぷりと時間をかけて展示品を鑑賞しました。

上の写真はカステルヴェッキイオ城から伸びている赤煉瓦色の立派で美しい橋で、川を渡って両側のベローナの街をつないでいます。

ジュリエットの家

ベローナに観光に来た人が必ず訪れるのがジュリエットの家です。

シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」でジュリエットのモデルとなったのが、ベローナにあるカプレーティ家の娘で、彼女が住んでいた現存する家は「ジュリエットの家」と呼ばれています。

   

左上の写真は家の前にあるジュリエットの銅像です。右胸に触ると願いが叶うとのことで観光客は皆触っていました。

右上の写真は家の2階にあるバルコニーでジュリエットらしき人形が顔を出していました。

ベローナは特にカップルにとってとてもロマンティックな観光地になっていました。

      

左上の写真はシニョーリ広場でベローナ旧市街中心にあります。広場の中央には詩人で哲学家でもあったダンテ・アリギエーリの像が立っていました。

上の真ん中の写真は街角で見つけた礼拝所です。

右上の写真は、ローマ時代に建てられたガーヴィ家の凱旋門です。

上の写真はベローナの街の中にある噴水のある公園で、私たちのツアーメンバがガイドさんと打ち合わせをしている様子です。公園のベンチは地元の人達でほぼすべてうまっていました。

私たちがベローナを観光した日は快晴のとても良いお天気になり、中世の趣が残った美しい街の見所をゆっくりと散策しとても充実した観光になりました。

この回想録は「海外旅行回想録(20) ー イタリア(後編)」へ続きます。

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