海外旅行回想録(20) ー イタリア(後編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではイタリア旅行(後半)の体験をご紹介します。

20. イタリア(後編)

この記事ではイタリア旅行の後半としてベネチア、フィレンツェ、ピサ、シエナの観光の体験をご紹介します。

ベネチア

ベネチアはヨーロッパの歴史にたびたび登場するので日本でもよく知られた都市です。

中世にはベネチア共和国の首都として、特にアドリア海と東地中海の貿易で繁栄しました。英語読みではベニスと呼ばれています。

ラグーナ(潟)の中に約120の島々が点在し、その間を約150の運河が巡り、それらの運河には約400もの橋が架かっているそうです。自動車は乗り入れ禁止で、船と徒歩が交通手段という「水の都」です。1987年にベネチアとその潟は世界文化遺産として登録されました。

特産品としてはベネチアングラス、レース、仮面などが世界的に知られており毎年世界中からたくさんの観光客が押し寄せてきています。

これだけ有名な世界的観光地ですので映画のロケも盛んに行われてきたようです。最近では、2006年製作のイギリス・アメリカ・チェコ合作映画「007/カジノ・ロワイヤル」やジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが共演した2011年製作のアメリカ・フランス合作映画「ツーリスト」などが良く知られています。

ところで、水の都であるベネチアは土地が低いことから、毎年高潮で街が浸水の被害を受け続けておりその対策が長年の課題でした。

イタリア政府は高潮対策として総工費約6800億円をかけて2003年から「モーゼ計画」を進めてきています。巨大な水門を海底に寝かせた形で沈めて設置し、高潮の際に水門に空気を入れて起き上がらせて海水の潟への流入を防ぐというものです。2020年秋に初めて海面上昇時のテストを実施してモーゼシステムがうまく機能することを確認したそうです。

実はこの計画の実現のために日本の高度な塗料・塗装技術が採用されています。海水に浸かったままの水門に貝や海藻などがこびりつかず、さらに環境にも安全な特殊な塗料、さらに海水中でそれを水門にうまく塗装できるような特殊技術だそうです。

上の写真はベニスを最も代表する景色の 1 つです。中央に見える白い橋が最も有名なリアルト橋で、ベネチアで最も歴史が深く、最も象徴的な橋です。

リアルト橋が作られたのは 1500 年代後半で、斬新なデザインと、高い石造りのアーチと欄干が目を引きます。

   

上の写真はベネチアに行くとき(左上)と帰るとき(右上)に船から撮影したものです。

ベネチアに入ると早速名物のゴンドラに乗っての運河クルーズを楽しみました。次に途中で撮影した美しい街並みの写真を3枚掲載します。

  

私たちが乗りこんだゴンドラには男性の歌い手が一緒に乗ってきて、遊覧中にイタリア名物のカンツォーネを披露してくれました。張りのある素晴らしい歌声を聞きながらのゆったりとした手こぎのゴンドラ遊覧はまさにベネチア観光の目玉となりました。

ところで手漕ぎの遊覧船は水面にかなり近いこともあって、残念なことに運河の嫌な匂いが始終気になりました。いわゆる淀んだどぶ川でよくあるようなムッとするような腐敗臭です。

気になりだすとせっかくの風景や雰囲気が台無しになります。運河は水の透明度も低く流れがほとんどないようで汚れた水が漂っているのだと思われます。せっかくの世界的観光地なので是非匂いが発生しない程度には水質を保ってもらえると皆に喜ばれるのではと思いました。

日本の東京でも神田川、墨田川、日本橋川などを巡る川クルーズが近年注目されてきていますが、やはり風が通らない狭い川幅の場所などを通過する際には残念ながら同じように藻が腐敗したような川特有の嫌な匂いがします。

ちなみにベネチアではコロナ禍の期間中は観光客がほとんど来なかったので、自然に運河の水質が劇的に改善され水の透明度が飛躍的に増したというようなことが国際ニュースで報じられていました。同時に運河の異臭も大いに改善されているのではないでしょうか。

   

左上の写真はかなり狭い水路の様子です。橋の上から撮影しました。

右上の写真は、ベネチア観光の中心地である「サン・マルコ広場」です。ナポレオンが「世界一美しい広場」と称賛したと言われ、ゴシック風の堂々とした白色系統の建物に囲まれています。

広場の周辺にはたくさんのカフェやレストランが立ち並び、外のテーブル席に座って観光客をながめながらのティータイムはなかなかお洒落な体験になります。

サン・マルコ広場ではミラノのドゥオモ前広場と同様にたくさんのハトが群れていました。これは観光客が何気なく与える餌が原因だと思われます。

   

左上の写真はサン・マルコ広場に面した場所にあるサン・マルコ大聖堂です。ベネチアの守護聖人で新約聖書の福音書を著した聖人マルコがまつられているとのことです。右上の写真はその内部にある祭壇の様子です。

ビザンティン建築が取り入れられたこの聖堂は、いくつもの円頂や尖塔がそびえ立ち、豪華・壮麗な姿に圧倒されます。大聖堂内部は黄金や宝石が使われた装飾が贅沢に施されて祭壇なども見応えがあります。これらの豪華な建物や装飾を見ると中世の繁栄が如何に凄かったのかが分かります。

   

上の3枚の写真はサン・マルコ広場の展望台から見た風景です。ベネチアはすぐ周りを海で囲まれた狭い地域だということが良く分かります。

ベネチアの特産品の一つに色が美しいベネチアングラスがありますが、このツアーではあるベネチアングラスの工房を見学しました。

上の写真は工房の中で、職人さんが右側の炉から取り出した融けたガラスを左側で整形しているところを撮影したものです。

コバルトやマンガンなどの鉱物を混ぜることで様々な色合いを表現するそうです。また混ぜた鉱物により硬度が変化するということで、赤色のものが最も硬度が高くて高価になるとのことです。

ベネチア観光ではたっぷりの自由時間がとってあり、島の中の色々なお店をゆっくりと見て回り楽しい時間を過ごすことができました。今回の旅行では可愛い赤色のワイングラスを1つお土産として持ち帰りました。

ベネチアは船で行き、船で帰るというアクセスが特別感を盛り上げており、まるで夢の島にでも観光に行くような気分になれたのはとても興味深かったと思います。

フィレンツェ

トスカーナの丘に囲まれたフィレンツェは芸術の都として世界的に有名です。13世紀の終わりから毛織物や金融などの商人の町として栄え、15世紀初頭から市政を掌握したメディチ家の財によりルネサンス文化が花開いた街です。

フィレンツェは、街全体が「屋根のない美術館」や「花の都」と称されるほど美しく、中心部はユネスコの世界遺産に登録されています。

私はイタリア観光ではフィレンツェが最も気に入っていて過去に2度訪れています。

上の写真は展望台からフィレンツェの街並みを眺望した有名な景色です。中世の街とその中を流れる川という私が好きな構図になっています。赤と白の丸い屋根が目立つドゥオモやフィレンツェ最古のヴェッキオ橋も見えています。

ヴェッキオ橋はアルノ川にかかる観光名所です(上の写真)。橋の上には宝飾品店がずらっと並び、その上の階にはメディチ家の専用通路「ヴァザーリの回廊」があり、一般の橋とは違った独特の複雑な構造になっています。

上の写真はフィレンツェの観光の中心であるドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)です。古代ローマ時代から「花の女神フローラの街」として繁栄してきたフィレンツェのシンボル的存在で高さ約106mのクーポラ(円蓋)が目印の「花の聖母マリア」と名付けられた聖母教会です。

1296年から約140年の歳月をかけて完成しイタリアの初期ルネサンス建築を代表する建造物のひとつとなっています。

白色、緑色、黒色、赤色の大理石のモザイク風な模様が特徴的でその圧倒されるほどの存在感に感銘を受けました。

      

左上の写真はドゥオモの正面付近の様子です。

真ん中の写真はジョットの鐘楼で、ドゥオモの隣にそびえる高さ約85mのゴシック様式の鐘楼です。約400段の階段を上ると見晴らし台があり、美術館のようなフィレンツェの美しい街並みが一望できるとのことです。

右上の写真は、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の北側の門でギベルティ製作の「天国の門」です。初期ルネサンスの代表的な彫刻作品で、「天国の門」と名付けたのはミケランジェロと言われています。高さ約5メートルで10枚の金箔を施したブロンズパネルの彫刻作品です。

観光で訪れた時も門の前には彫刻の詳細を近くで見たいという人で混み合っていました。

ウフィッツィ美術館

1500年代に行政庁舎として建設されたのがウフィツィ美術館の始まりで、その後メディチ家に眠る貴重な美術品を集め保管しはじめたのがコレクションの元となったと言われています。

収蔵されているものの多くはルネサンス期にメディチ家が管理していたもので、その数は2500点以上にも及びます。サンドロ・ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの貴重な作品もあり、その規模と作品のクオリティからイタリア国内最大の美術館として位置づけられ世界中から多くの観光客を集めています。

ウフィツィ美術館は、私もパリのルーブル美術館の次に2番目に好きな美術館です。イタリア観光では絶対に外せない場所だと思っています。

   

上の写真はウフィツィ美術館の中庭の様子で、ミケランジェロなど彫刻家の作品が壁に沿って配置されています。

   

左上の写真はミケランジェロ作のあまりにも有名な「ダビデ像」です。これは彼の作品の中でもルネサンス期の最も優れた作品の一つであり、「人間の力強さや美しさの象徴」とも言われているそうです。

右上の写真はアンドレア・デル・ヴェロッキオ とレオナルド・ダ・ヴィンチの共同制作になる「キリストの洗礼」です。

   

左上の写真はラファエロの「ヒワの聖母」(1507年頃)です。ラファエロは37年の生涯で約50点もの聖母子像を描いたと言われこの作品はその代表作です。ラファエロは「聖母の画家」とも呼ばれていたそうです。

聖母を頂点として右に足の上に立つキリスト、左に洗礼者ヨハネを配した安定感ある構図となっています。この構図はレオナルド・ダビンチから学び、足の上に立つイエスはミケランジェロの作品にヒントを得たものと言われています。

ヨハネがイエスに差し出しているのはヒナ(小鳥)でイエスが将来被るであろう受難を暗示しているそうですが、構図の抜群の安定感、絵筆の優しいタッチ、色使い、聖母の気品あるまなざし、体の優しい線など絵画全体として優しさと安堵そして慈愛のオーラが漏れ溢れている非常に見事な作品だと思います。

この作品はウフィツィ美術館の中で私が最も好きな作品です。鑑賞していると思わず心が吸い寄せられてしばし時間を忘れてしまうような不思議な魅力があります。

右上の写真はミケランジェロ作の「聖家族」です。この絵画はフィレンツェ滞在時ドーニ家から依頼されて制作されましたが、ミケランジェロの板絵としては唯一の貴重な絵画です。

聖母マリアとキリストを中心にした構図ですが、聖母マリアの夫の聖ヨセフを描いているのが特徴的です。彫刻家による絵画ということでタッチは力強いものになっています。

上の写真はサンドロ・ボッティチェッリ作の「春(プリマヴェーラ)」(1482年頃)です。子供のころから美術の教科書などでお馴染みの絵画です。

サイズは縦203cm×横314cmもあり最初に見た時にはその大きさに圧倒されました。この「春」はボッティチェッリの作品の中でも特に有名なものの一つです。

愛と美の女神「ヴィーナス」が中央に描かれ、ヴィーナスの右手側には花と春と豊穣を司る古代ローマの女神「フローラ」が描かれています。上部や足元などの背景にはなんと500以上もの植物と200以上の花で埋め尽くされています。

愛と美と喜びに溢れた絵画になっていて、鑑賞していると何か自然と心が解放され楽しくなってくるような魅力があります。

上の写真は15世紀初頭からフィレンツェの市政を掌握したメディチ家の紋章です。中心部に配置されたボールが特徴的ですが、これはメディチ家の祖先が医者または薬屋だったので丸薬を表しているなどの説があるようです。

ボールの数は初期のころは11個、7個、3個など色々とあったそうですが途中からは6個に定まったそうです。

次の2枚の写真はフィレンツェの街角の風景です。有名な観光スポッ以外は人通りもそう多くはなく空いていました。

   

今回のツアーでは一日半程度でグループで市内をゆっくりと観光し、2日目の午後には自由行動の時間を取ることができました。

私はこの自由行動の半日を有意義に過ごすためにフィレンツェから個別にピサ観光へ行きました。この日本からのツアーコースには残念ながらピサ観光は含まれていなかったからです。

ピサ

ピサはフィレンツェからほぼ真西方向に約80kmの場所にあります。私はそこまで電車に乗って行くことにしました。

イタリアでは街の人は英語がほとんど通じません。電車の駅の係員さんは英語が通じるだろうと期待していましたが、残念ながらやはりほとんど通じませんでした。

仕方がないので英単語と身振り手振りで会話をすることになりましたが、当時フィレンツェからピサまでの直通電車がなくて途中の駅で乗換える必要があり、その乗り換えにかなり苦労してしまいました。

結局なんとか電車を間違えずに無事にピサまでたどり着くことができました。

不快なトラブル?

ところが実はこの時に乗車した電車の中でミラノに続いてまたしても不快なトラブル?に遭遇することになりました。

移動中の電車に腰かけて風景を眺めていた時のことです、突然小さな子供が目の前に現れて、なぜか私の顔を見てじっと立っていました。最初はその子が一体何をしたいのかが全く分かりませんでしたが、その子が手に空き缶を持っていることに気が付きました。

その子は私が空き缶に気が付くと同時に突然その空き缶を振ってカチャカチャと音を立て始めました。どうやらその空き缶には小銭が入っていたようで、私に小銭をもらいに来たことが了解できました。

その子は小学校2~3年生くらいの小さな子で身なりは確かにちゃんとはしていませんでした。私がイタリア語が分からないと悟ったのか、その子は一言もしゃべらずに私の目の前で缶をカチャカチャと振り続けるだけでした。

街の中を走る普通の電車で物乞いをして回る子供がいることに衝撃を受けました。しかも私が小銭を与える意思がないことを悟ると怖い顔を見せた後ようやく私の前から立ち去りました。

別の座席へ移動すると今度はそこの乗客の目の前に行ってカチャカチャと物乞いをはじめました。

乗客の人はほとんどが拒否していましたが、なかには小銭を缶に入れてあげる人もいました。

最初の子が去って数分もしないうちに、今度は別の女の子がまた缶を鳴らしながら私の方へ物乞いへ来ました。何もせずにじっとしているとその子も諦めて次の乗客の所へと移動していきました。

このようなことがあっても乗客の誰もなにも騒いだり、子供に注意したりはしませんでしたので、日常的に起きていることだと思いました。

私にとっては初めての驚愕の経験で、まるで中世のヨーロッパの薄暗い裏通りに迷い込んだような映画の1シーンような光景でした。さすがに多種多様な生き方の人が棲んでいるヨーロッパの中のイタリアだなと感心したりもしました。

さて、フィレンツェからの電車は郊外の農村地帯を通過していきました。

上の写真は電車の窓から見た郊外の農村風景です。緩やかな丘が続き、とてものどかな情景は見ていて飽きることはありませんでした。

上の写真はピサ駅に到着する手前の街中の風景です。右側の川岸に白い礼拝堂のような建物がある珍しい光景です。

ピサ駅で電車を降りて街中を少し歩くとあの有名なピサの斜塔があるドゥオモ広場に着きました。ドゥオモ広場は通称「奇跡の広場」ともいわれ、ピサで一番の観光地になっているようです。

左の写真がピサの斜塔です。実際に見ると予想以上に傾いていることに驚きました。

私たちが訪れた時は補修工事中で斜塔付近および中には立ち入ることが禁止されていました。たとえ建物に上ることが許されていても遠慮したいと思いました。

ピサの斜塔はガリレオが行ったと言われている球体落下実験で世界的に有名になった建物です。

これは1589年に行われ、ピサの斜塔から質量の異なる2つの球を落下させる実験です。これにより物体は重さに関係なく同じ速度で落下することが証明できたそうです。

これは重い物体ほど速く落ちるとするギリシャの古典的物理学を否定するものでした。

1971年には、アポロ15号 の乗組員によって空気抵抗の影響を排除できる月面で同じ実験が行われ、ハンマーと鳥の羽を落下させ、ガリレオの説を裏付けたそうです。

この実験でガリレオは、科学的主張は実験によって証明するという方法論を初めて唱えることとなったということです。

ところで実際には地球上では落下物に対して空気の抵抗をかなり受けることになります。実験に使った2つの球の軽い方の球がかなり軽いものだったら、空気抵抗の影響を強く受けるために、精密に測ると重たい方の球の方が早く地上に落ちることになると思います。

上の写真はドゥオモ広場に建てられたピサ大聖堂で世界遺産です。この大聖堂は建築形式がバジリカ式(十字型平面形)であるために上から見た平面図が十字架の形をしていることでも有名です。

正面の壁の上半分のたくさんの列柱が極めて特徴的です。大聖堂の右後ろにピサの斜塔の上部が見えています。

上の写真はピサ大聖堂の内部の金色に輝く豪華な天井の様子です。ロマネスク建築とは異なった東洋文化風の木造天井のようです。雰囲気としては日本のお城や本丸御殿などの天井の金色の装飾にも似ていると思います。

   

左上の写真はピサ大聖堂の入口の扉のレリーフです。フィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂のギベルティ製作の「天国の門」と似たような造りになっています。

右上の写真は洗礼堂です。直径は約35m、高さは約55mで白大理石で造られていて、下部は列柱とアーチによるロマネスク様式、上部は尖塔によるゴシック様式になっているそうです。

シエナ

フィレンツェからほぼ南に電車や車で約1時間30分の場所にあるシエナはブドウ畑やなだらかな丘陵地帯が美しいトスカーナ地方の中心に位置する街です。

人口5万人程度の小さな街ですが12~14世紀には中世イタリアで最も栄えた都市国家の1つで、隣国フィレンツェを凌ぐほどの勢いがあったそうです。

中世の美しい街並みがそのまま残りユネスコの世界文化遺産にも登録され、ローマ、ミラノ、フィレンツェほどの派手さや賑わいはありませんが観光地として高い人気を誇っています。

当時はその経済力を背景にルネサンス芸術の中心地の一つとなり、フィレンツェ派に対抗しシエナ派を形成した多くの芸術家を輩出したそうです。

上の写真はシエナで最も有名な観光スポットであるカンポ広場です。カンポ広場は世界で最も美しい広場のひとつと言われており、広場の中ほどまで進み、その場に立って周りを見渡してみると当時繁栄していたシエナの様子が良く想像できます。

実際に広場の中ほどに歩いて進んでいくと、思っていたよりもはるかに広い場所だと体感できます。街の真ん中にこれほど広くて爽快な石畳の広場があるのはヨーロッパでも珍しいと思います。

また広場が緩く傾斜しているのもとても面白いと思います。この傾斜は昔雨水を集めるためだったと言われています。上の写真にもあるように中ほどで座りこんでしばし風景を楽しむのも一興だと思います。

上の写真では広場の何か所かに人が密集している様子が分かりますが、これらはみな別々のツアーグループで、その中心でガイドさんがカンポ広場の説明をしているところです。

以前TVのドキュメンタリーか何かでカンポ広場で開催されるお祭りを見たことがあります。このお祭りはパリオと呼ばれ、夏季の7月2日と8月16日に年に2回開催される伝統行事です。伝統衣装に身をまとったパレードや競馬のレースが行われます。カンポ広場を埋め尽くすほどの約4万人の観客を集め、その模様はイタリア全国に生中継されるほどだということです。

   

左上の写真はカンポ広場のシンボル的な存在のマンジャの塔です。イタリアで2番目に高く102メートルの高さがあり、有料ですが展望台まで階段で登ることができて展望台からはシエナの街の美しい景色が堪能できるそうです。

右上の写真は世界遺産のシエナ歴史地区の中心的建築物であるシエナ大聖堂です。この大聖堂の建築はゴシック様式やロマネスク様式などがミックスされていますが、その正面外観であるファザード(右上の写真)はイタリアで最も美しいと言われています。

大聖堂内部も白と黒の大理石の縞模様が特徴的なとても豪華な装飾が施されていて一見の価値があります。

シエナではローマやミラノのように観光客でごった返していることはなく、中世の美しい街並みをゆっくりと気持ちよく散策できました。またトスカーナ地方はワインや美食で知られており旅行中はグルメも大いに楽しむことができました。

終わりに

イタリアはどの都市もそれぞれに特色があり見所も多くまさに観光大国です。古代から中世にいたる歴史的建造物や美しい街並み、芸術、最先端ファッション、郊外の美しい風景、おいしいグルメなど何度も訪れたくなる国です。

ミラノで遭遇したスリやフィレンツェから乗った電車での子供の物乞いなどショッキングな場面にも巻き込まれましたがそれもイタリアの自由で開放的で多様な一面だと考えられます。

この記事の最後の方でご紹介したトスカーナ地方ですが、今アグリツーリズモが観光客に人気を博しているそうです。

アグリツーリズモとは、自然を満喫したい観光客に、観光客が農家の仕事を手伝う代わりに農家が空いている部屋を貸して宿泊させ農家で作る農産物を食事として提供するというスタイルから始まったそうです。

現在はアグリツーリズモが商売としてさらに発展しアパートタイプになったり、食事はレストランで提供する形などサービス形態が広がってきています。

トスカーナ地方でもフィレンツェ、ピサ、シエナなどと比べてもっと小さな街、たとえばピエンツァなどのアグリツーリズモに宿泊して周辺を観光する旅などが最近特に注目されているようです。

ピエンツァは、トスカーナ中部の世界遺産「オルチャ渓谷」にある、ルネサンス期に「理想郷」として作られた計画都市で、ピエンツァの歴史地区も世界遺産に登録されています。

イタリアの主だった都市の観光に飽きてしまった人には、トスカーナのアグリツーリズモに加えてイタリアの中にある独立国家「サンマリノ共和国」の観光もお勧めです。

サンマリノ共和国は標高700メートルの山頂に城砦を築き、それが天然の要塞となって長い間ヨーロッパの戦火から独立を守り抜いてきたそうです。そのため「山頂の独立国」という異名で呼ばれるようになったそうです。特に中世のお城に興味がある人には絵葉書にも良く登場する世界的に有名な城砦「グアイタ」は訪れる価値があると思います。

このように観光先として話題に尽きないイタリアですが私自身も今後少なくともあと3回は観光で訪れたいと思っています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする