南イタリア観光旅行(3)

はじめに

5月上旬に9日間で南イタリアへ観光旅行へ行ってきました。この記事では旅程5日目のアルベロベッロからマテーラへの移動とマテーラ観光、旅程6日目のカステルデルモンテ城の観光の様子をご紹介します。

旅程5日目(続き)

アルベロベッロ観光を終えた後、観光バスで少し西にあるマテーラへ向かいました。

ところで海外旅行などで特に昼食後に長時間バスに揺られているときには、乗っているほとんどの人が居眠りをしているようです。私自身はたとえ時差ボケを感じていても乗車中はめったに居眠りをしません。理由は、移動中に車窓を流れる珍しい素敵な風景をいつまでも眺めているのが好きだからです。

この日マテーラへ行く途中はお天気もとても良くて車窓を流れる風景がのどかでとても素敵だったので2本の動画を撮影しました。

最初の動画(1分35秒)は農場・牧草地の風景の中を走っている様子です。

次の動画(1分24秒)はマテーラにかなり近づいてからの風景で、車窓の左側には丘に石灰岩と思われるような白い岩肌があちらこちらに見られるような風景になっていました。日本では山口県の秋吉台や福岡県の平尾台の丘で似たような風景が見られます。

世界遺産マテーラ

南イタリアのバジリカータ州にあるマテーラは、石灰質の岩肌を掘って作られた3,000から4,000軒ほどの洞窟住居群(サッシ)があることで有名です。1993年にマテーラの洞窟住居としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

サッシは、中世の時代にイスラム勢力を逃れるために東方から来た修道僧が住み着き、ここに洞窟住居や洞窟教会を築いたことがその始まりとされています。ただし旧石器時代の出土品が発見されているので原始時代から洞窟に人が住んでいたと思われるそうです。

サッシでの生活では、寒さと盗難から家畜を守るために家畜を同じ室内で飼っていたとされています。1950年代までにサッシは貧困層が住むエリアとなり、衛生面がますます悪化していき、1980年代までは「イタリアの恥」とまで言われたそうです。

イタリア政府は十数年をかけてサッシの住民を新地域に強制的に移住させましたが、残されたサッシはゴーストタウンになってしまったそうです。

しかし、1993年にサッシが世界文化遺産に登録されたことで観光客が増加し、ホテルやレストラン、お土産物屋などが整備されて現在では南イタリアの人気の観光地になっています。

マテーラ観光スポット

マテーラの観光スポットは下のGoogle Mapにあるように、旧市街で丘になっているチビッタ地区、サッシのサッソ・バリサーノ地区とサッソ・カヴェオーゾ地区に分かれています。

オレンジ色の〇で囲っているのは2つの有名な教会です。チビッタ地区にはマテーラ大聖堂があり、サッソ・カヴェオーゾ地区にはサンタ・マリア・デ・イドリス教会があります。また東側にはグラヴィーナ渓谷が広がっています。

サッソ・バリサーノ地区はホテル、レストラン、カフェ、お土産物屋などがあり大変にぎやかですが、南側のサッソ・カヴェオーゾ地区は住民が出て行ったあとはほとんどの住居がそのまま廃墟になっていて少し寂しくて異様な雰囲気が漂う場所になっています。

アルベロベッロからマテーラに到着してまずサッソ・バリサーノ地区にあるレストラン「OSTERIA PICO」で昼食をとりました。

このレストランも入り口から入っていくとなにやら洞窟の雰囲気になり地下2~3階まで降りていきました。

下の写真のように一番奥にテーブルが一つあってそこで昼食をいただきましたが、ウエイターやウエイトレスの人は食事を運ぶために何度も階段を上り下りしていました。皆さん大変でしょうがかなり足を動かすとても健康的なお仕事をされていると思いました。

昼食の後、マテーラの旧市街の観光へ出かけました。

マテーラ大聖堂展望台

まず最初にチビッタ地区の最も高い丘の上にあるマテーラ大聖堂の前の展望台のような広場へ行きました。標高が低いサッソ・バリサーノ地区からかなりの石段を登って行く必要がありますが足元を気を付けて頑張ればすぐに到着します。ただし道路に敷き詰められた石の表面がつるつるで滑って転倒しやすいので特に下って行くときには要注意です。

この展望台からはサッソ・バリサーノ地区のサッシの様子が眺望できます。どこを見ても薄黄色の建物が所狭しと統一性なく建て込んでいて他では見ない少し異様な光景が広がっていました(下の写真)。

マテーラ大聖堂はマテーラ・イルシーナのカトリック大司教区の大聖堂で、13世紀に築かれたロマネスク様式の建築物です。壮大な外観と美しい彫刻が特徴でマテーラの象徴とも言われています。

今回は教会内部は見学しませんでしたが、バロック様式の祭壇や美しいステンドグラス、多くの貴重な美術品や聖具などが見られるとのことです。

ここのマテーラ大聖堂の広場から見た風景の動画(1分13秒)を下に掲載します。

サッソ・カヴェオーゾ地区

マテーラ大聖堂の前の展望台からは東側のグラヴィーナ渓谷へ向かって降りていき、渓谷に沿った道を南の方へ向かって散策しサッソ・カヴェオーゾ地区のサッシを見学しました。

このあたりの場所は映画のロケでよく利用されるそうです。メル・ギブソン監督の2004年制作の米国映画「パッション」、2016年制作の米国映画「ベン・ハー」、007シリーズの第25作目となる2021年制作の米国映画「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」などです。特に「パッション」と「べン・ハー」は古代エルサレムとして撮影されたようです。このマテーラの地が昔のエルサレムとよく似た風景であることが理由だそうです。

左下の写真は良くロケで使用されるアーチがある珍しい通路です。右下の写真は「ベン・ハー」の中でローマ軍が隊列を組んで行進しているシーンで使われたとのことです。

右側にサンタ・マリア・デ・イドリス教会と左下の方にサン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会が見えます(下の写真)。

サンタ・マリア・デ・イドリス教会はごつごつとした岩を掘り抜いて造られた典型的な洞窟教会で、下の写真のように強いインパクトを与える外観を呈しています。8世紀ころにキリスト教の修道士によって築かれたそうです。今回は教会内部には入りませんでしたが、12世紀から17世紀頃までに描かれたフレスコ画が残っているそうです。

サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会は1300年ごろに建てられ、現在の建物は17世紀ごろに修復されたものだそうです。グラヴィーナ渓谷沿いのが崖っぷちに建てられた教会です。

このあたりで撮影した風景の動画(20秒)を下に掲載します。

下の写真は上の写真を撮影した場所からさらに南に行ったところから撮影した景色です。サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会前の広場がよく見えています。

このあたりからグラヴィーナ渓谷を眺望した風景です(下の写真)。渓谷の向こう側の山肌にある岩肌にもたくさんの洞窟が見えていました。太古の時代に使っていたものだと思われます。

下の写真はサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会の正面右側にある通路から渓谷側に入ってきたすぐの場所で石灰岩や大理石で作った飾り物を売っている露天のお店の様子です。

廃墟となったサッシの家の内部の様子です(下の写真)。奥の柵が見える場所でロバなどの家畜を飼育していたそうです。人と家畜が同じ部屋で生活するので確かに衛生環境は非常に悪かったと想像されます。

下の写真は渓谷に沿った道を南方向へサッソ・カヴェオーゾ地区を散策してきてほぼ行き止まりになった場所からさらに南側を撮影した風景です。もう人が住んでいるような気配は全く感じられませんでした。ただしこのあたりは古い時代の雰囲気がしっかりと残っているということで映画のロケでとても人気がある場所だそうです。

このあたりで撮影した風景の動画(19秒)を下に掲載します。動画で登場する渓谷の向こう側にある丘の上では、米国映画「パッション」でイエス・キリストが磔にされたエルサレムのゴルゴダの丘の想定でロケが行われたそうです。

左下は建物の雨どいですが、家畜などの動物の骨をその支えの材料として現在でも利用しているそうです。当時同じ部屋で家畜を飼うほど家畜は貴重だったのでその家畜の骨までも有効に活用したのでしょう。

右下はマテーラ名物のマテーラのパン「パーネ・ディ・マテーラ」で地元産のデュラムセモリナ(デュラム小麦の粗挽き粉)をさらに細かく挽いた粉で作られた伝統的なパンで、現在でもマテーラの人々は昼食や夕食時には常にテーブルに出すそうです。

下の写真はサッソ・カヴェオーゾ地区のかなり南側から北の方角を望んで撮影した景色です。写真の左上あたりにチビッタ地区で最も高い位置に建っているマテーラ大聖堂の塔が見えています。また右側真ん中あたりにはサンタ・マリア・デ・イドリス教会が、真ん中遠くにはグラヴィーナ渓谷が見えています。

マテーラ街歩き

最後にマテーラ新市街と旧市街を歩いたときに撮影した動画を2本掲載します。

最初はマテーラ新市街を歩く様子の動画(45秒)です。新市街も予想以上に立派で清潔な市街地を形成していました。たくさんの人で賑わっていてこの街歩きも楽しめました。

次はマテーラのサッシのサッソ・バリサーノ地区の狭い路地を歩く様子の動画(35秒)です。歩いていくと最後には開けた素敵な撮影スポットがありました。

マテーラは最近人気が高まってきている観光地だということですが、確かに近くのアルベロベッロと一緒に観光できるので地理的に大変便利だと思います。

今回はマテーラの半日観光でしたが、薄黄色の数千もの洞窟住居や洞窟教会が密集していて世界的にも珍しい異様な景観の中、観光する範囲が広くて見どころも多く、街歩きをしていてもとても好奇心をくすぐられるような感覚を覚えました。半日でしたがとても楽しく充実した時間を過ごすことができたと満足しています。

ただし洞窟教会や洞窟住居などの内部の見学に十分に時間をかけたい場合には1日観光を計画したほうが良いと思われます。

世界遺産マテーラの観光を終えて、観光バスでまたアルベロベッロのホテルへと戻ってきました。

アルベロベッロの「グランド・ホテル・オリンポ」に戻って少し休憩してから近くのレストラン「Ristorante Pizzeria L’Olmo Bello」に行って夕食をいただきました(下の写真)。エントランスとアプローチが素敵なレストランで耳たぶのようなパスタがお勧めです。

左下はチーズと生ハムの盛り合わせで右下は有名な耳たぶのようなパスタです。どちらもおいしくいただきました。

これで旅程5日目の観光はすべて終了です。

旅程6日目

旅程6日目は世界遺産カステルデルモンテ城の観光へ行きました。アルベロベッロから出発してお城の観光後に次の宿泊地であるナポリまで行くので、バスの移動距離が合計で約350Kmとなり移動時間がかかるので本日の観光はほぼこのお城1か所だけになります。

世界遺産カステルデルモンテ城

カステルデルモンテ(デルモンテ城)は、イタリア南部のプッリャ州の肥沃な農地の広がるアンドリアの近郊にある標高540mのなだらかな丘の上にあります。神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世によってイスラムや北欧のゴシック様式などの建築技術を取り入れて13世紀に建てられたお城です。1996年に世界遺産に登録されています。

ちなみにカステルデルモンテはイタリア語では「山の城」の意味になります。

2階建てのこの城は「丘の上の王冠」とも呼ばれています。なぜか数字の「8」にとことんこだわった造りになっていて、8角形の中庭を8角形の外壁が囲み、8つの角のそれぞれに8角形の小塔を配しています。8角形の中庭と壁に挟まれた内部は台形の8つの部屋に分かれていて、部屋の柱の上部に8枚の葉の装飾も残っています。

フリードリヒ2世は学問と芸術を好んだそうで、このお城もさまざまな学者が集められ天文学や数学などを駆使して先進的な発想に基づいて建てられたと言われています。

カステルデルモンテ城の謎

ところが最大の謎はこのお城が何のために建てられたのかということです。

まずこのお城は軍事的要塞としては全く役に立たなかったと思います。堀や跳ね橋、防御塀、砲座、弓や鉄砲のための狭間、馬小屋、兵舎などの軍備施設がまったくありません。螺旋階段は上に向かって左回りに作られていますが、これでは侵入した敵に対して剣を右手に持って防戦することが困難です。さらにお城の中の厨房設備が十分ではなかったようです。

またお城の建物の規模が小さすぎますし、内部の構造が容易に想像できるので攻め込んできた敵に簡単に落とされてしまうでしょう。

軍事目的ではなかったとすると別荘だったと考えることもできますが、ちゃんと造園された庭園もなく、周囲に素敵な湖や川もなく、また厨房設備が不十分では人々が優雅に快適に長期間滞在するということは考えにくいです。

鷹狩の時の宿舎だったとも想像できますが、当時の鷹狩の様子を記録した書物にはこのお城のことが全く触れられていなかったそうです。

「8」という数字にこだわった理由については、キリスト教では8日目がキリストが復活する重要な日、イスラム教では天国をあらわす吉数と言われています。さらにフリードリヒ2世は、エルサレムにある世界遺産「岩のドーム」(イスラム教第三の聖地と言われる8角形の神殿)の美しい建物に触発されたのではないかとも言われています。

自分自身で現地でこのお城を見学した時に感じたのは、このお城は何らかの実用的・現実的な目的をもって作られたのではなく、学問と芸術に造詣が深かったフリードリヒ2世が以前から気になっていた神秘的で神聖な「8」にこだわって建物を作ったらどうなるのかをただ見極めたかったのではないかと想像しています。彼の豊富で深い見識の「具現化」だったのでしょう。少し乱暴に言えば結局彼の趣味・道楽で建築したのではないでしょうか。

正8角形と第2貴金属比

ところでいくつかの解説では、この正8角形のお城が黄金比に従って作られたと記述されていますが、正確には黄金比(第1貴金属比)(1:(1+√5)/2≒1:1.618)ではなく白銀比の中の第2貴金属比(1:1+√2≒1:2.414)だと思います。

黄金比は貴金属比のなかではもっとも知られていて、この比率を持つ物体やデザインに対して多くの人間が美的感覚や安らぎを感じる傾向があると言われています。白銀比も黄金比に次いで人が美しく感じる比率だと言われています。正8角形の相対する2辺を短辺とする長方形を考えるとその短辺と長辺の長さの比がこの白銀比の中の第2貴金属比になります。ただし東向きのこのお城の入り口の縦と横の長さは黄金比に基づいているようです。

下は現地に到着して階段の下からカステルデルモンテ城を見上げて撮影した写真です。

お城の正面入り口です(下の写真)。

左下はお城の内部に展示されていたこのお城の模型ですが、8角形の建物と8つの8角形の塔がよく分かります。右下は2階の部屋の窓から見た周囲の景色です。林と畑で他はほとんど何もないとても開けた場所に建っています。

左下は台形の部屋の一つです。内部にあったであろう装飾品・備品類は今は何も残っていませんでした。右下は原型をあまり留めていない暖炉の跡です。

 

左下は中庭の様子です。噴水や花壇など何もなくてとても殺風景な場所です。この地下には水槽が設置されているそうです。右上は中庭の中心から真上を覗いた景色です。8角形の空が見えます。一年のうち特定の日にこの中庭に特別な影ができるように設計されているそうです。

下にカステルデルモンテ城の外で周囲を撮影した動画(34秒)を掲載します。

この動画を見ても分かるようにお城の周りは何もなくて、せめて塀や門、さらに前庭のアプローチに花壇などあれば整った落ち着いた景観になるだろうと思いました。

カステルデルモンテ城の見学を終えた後、近くでアグリツーリズモを提供している農場のレストラン「IL PINO GRANDE」に行って昼食をいただきました(下の写真)。

モッツァレラブッファラとフォカッチャ(左下の写真)とマカロニをおいしくいただきました。

昼食後は観光バスで次の宿泊地であるナポリへと向かいました。約230Kmの距離があるので少し長距離のドライブになりました。

この旅行記は「南イタリア観光旅行(4)」に続きます。

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コメント

  1. 湯浅 より:

    旅行でご一緒いたしました湯浅です。
    毎回、家内と二人で楽しく拝見させてもらっています。
    写真、動画、文章のバランスがとてもよく、お陰様で旅行から帰った後にもう一度南イタリアを楽しむことができています。今後、カプリ島やナポリも楽しみです。
    ところで、ナポリではようれんさまのリードで夜景をベストボジションから眺めることができましたが、日本に帰国した後にガイドブックを改めて良く見ると、まさに同じ構図が表紙に載っておりました。

    • ようれん ようれん より:

      湯浅様
      イタリア旅行ではご一緒させていただき、おかげ様で楽しい時を過ごすことができました。
      旅行記を読んでいただきありがとうございます。
      旅行記は丁寧に書こうとするとかなり時間をとってしまいますので、いかに手抜きをしながら
      それなりにまとめるかでいつも苦労しています。