アイルランドとスコットランドへの旅(4)

はじめに

7月上旬に11日間でアイルランドとスコットランドの2か国を巡る観光旅行へ行ってきました。この記事では旅程7日目のダブリンのテンプルバーとトリニティカレッジの観光、旅程8日目のキルケニーの街、キルケニー城、ダブリンのウィスキー蒸留所、アイリッシュディナーショー、旅程9日目のダブリンのクライスト・チャーチ大聖堂、ダブリン城、国立美術館、国立博物館自然史館などの観光の様子をご紹介します。

旅程7日目(続き)

ダブリンのギネスストアハウスを見学した後、ダブリン市内の観光地の中心にあるテンプルバーへ行きました。

テンプルバー

テンプルバーは、ダブリンのリフィー川の南岸にあり、アイリッシュパブ、ギャラリーやシアターが建ち並ぶ地域で、お酒を楽しんだり音楽などの芸術や文化を楽しむ人気の観光エリアです。

16世紀に宗教改革で修道院が解散した後、この場所を引き継いだイングランドの外交官サー・ウィリアム・テンプル(Sir William Temple)の名前にちなんでテンプルバーと呼ばれるようになったそうです。

まず街の散策でWall of Fameというアイリッシュ・ロックンロール・ミュージアムの赤い壁を見に行きました。その壁にはアイルランド音楽で活躍しているアーティストたちがCDジャケットのように展示されていました。

その見学の様子は次の動画でご紹介します。

7 9 005 3 ダブリン散策1 1

下の2枚の写真はアイリッシュパブの聖地であるテンプルバーの中で「The Temple Bar」というテンプルバーの名前を冠するアイリッシュパブです。窓、壁、屋上などにあふれんばかりの花が飾られていました。夜のライトアップも素晴らしいそうです。

このアイリッシュパブの周辺を歩いている様子を動画に撮りましたので下に掲載します。

7 10 007 1 3 テンプルバー 1

下の写真は、ダブリンの中心地を南北2つに分けているリフィー川にかかっている歩行者専用橋で最も有名な橋です。最近は映えスポットとしても人気があるそうです。昔この橋を渡るのに通行料をハーフペニー徴収されたので「ハーフペニー橋」と名付けられています。この界隈を観光する人はこの橋を何度も渡ることになるそうです。

この白い可愛い橋のあたりまで細い路地を散策しましたので次にその動画を掲載します。この路地はいつも多くの観光客で賑わっているそうです。

7 10 010 3 路地と橋 1

ところで、このあたりには残念ながら他のヨーロッパの有名な観光都市と同じように「スリ」が頻繁に出没しているようです。散策するときには十分に注意が必要です。

次に向かったのがアイルランドで最も有名な国立大学のトリニティカレッジです。

トリニティカレッジ

トリニティカレッジは素晴らしいい図書館を有することで世界的に有名です。

左下はカレッジを正面から見た風景で、右下はその正面のゲートをくぐると現れる素敵な大学キャンパスです。

下の写真は有名な図書館のロングルームです。この図書館には約300万もの文献が保管されていて世界最大規模の研究図書館だそうです。私たちが訪れたときはちょうど防災対策で一部の本が棚から取り出されていました。米国映画「スターウォーズ エピソード2(クローンの攻撃)」に登場したジェダイ・アーカイヴのモデルになったそうです。

この図書館には8~9世紀ころに書かれた「ケルズの書」というアイルランドの国宝で世界で最も美しい本と言われている貴重な本が所蔵されています。イギリスとアイルランドのコルンバ修道院で修道士たちが制作を始め、ケルズ修道院で完成されたためこの名がついたそうです。

「ケルズの書」は豪華な装飾が施された4つの福音書(聖書)の手写本で、3大ケルト装飾写本の1つとされていて中世美術の代表的な作品です。

特徴的なのは繊細で色鮮やかな図像や装飾文字で、十字架、菱形、三点文様などの抽象図形、4人の福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)を表した人物画、キリスト教に関わる動物などの装飾絵が盛り込まれています。また渦巻きや組紐のような文様はキリスト教に由来するものではなくケルト文化の影響を受けたものと言われています。

言霊を信じていたケルト社会では文字にすると言霊は失われてしまうと考えられていたので文字の代わりに装飾文字、文様、挿絵によって物語が描かれたとのことです。

残念ながら「ケルズの書」は撮影禁止になっていましたのでここではご紹介できませんが、興味のある人は是非トリニティカレッジ図書館を訪れることをお勧めします。

ロングルームにはアイルランドで最も古いハープが展示されていました(下の写真)。

ハープはアイルランドの国章にも使われていますし、その逆方向から見た姿はギネスビールのロゴにも使われているそうです。

ダブリン市内観光を終えた後、ダブリンでの宿泊先であるフィッツパトリック・キャッスル ホテルへと向かいました。このホテルはダブリン中心部から車で30分くらい離れた郊外の静かな場所にありました。

左下はホテルの正面からの風景です。おとぎの国のお城のような外観でした。その他3枚の写真はそのホテルのレストランでいただいた夕食のメニューで、サラダ、豚肉のステーキとデザートです。

旅程8日目

朝ホテルを出発してダブリンの中心地から約140Kmのところに位置するキルケニーの街へ行きました。今回の訪問の主な目的はキルケニー城の観光です。

キルケニーの街

キルケニーは、アイルランドのキルケニー州の州都で人口は約2万人です。多くの中世の建築物が残った美しい街です。道路沿いには綺麗な花が飾られていて街を華やかにしています。

キルケニー城の専任ガイド付きの観光の時刻にはまだ間があったのでキルケニーの街を散策しました。その様子を動画でご紹介します。

8 10 012 1 3 キルケニー散策2 1

下の写真は魔女の家と呼ばれている場所でここを見るためにキルケニーまで来る観光客もいるそうです。現在はここはキテラーズ・インという普通のアイリッシュパブになっています。


この家の元の家主はアリス・キテラという人でアイルランドで最初の魔女として魔女裁判にかけられた人だそうです。アリスは、何度も裕福な男性と結婚を繰り返し、そのたびにその夫は死亡し、また財産を増やしていったので魔術を操る「魔女」だと訴えられたそうです。
裁判で火炙りの刑が決まるとアリスはメイドを身代わりにしてイングランドへ逃げ延びたそうです。
上の写真で分かるように手前側の家の壁の窓がレンガで塞がれていますが、元魔女の家ということが関係しているのでしょうか。

キルケニー城

キルケニー城は、キルケニーの街のノア川を眼下に望む高台に堂々と聳え立つ石造りの城です。過去8世紀以上にわたり何回も増築や修復が施され多様な建築スタイルが融合した複雑な構造となっているそうです。城内はヴィクトリア様式の装飾が施されています。

元々のアングロ・ノルマンの石城は13世紀に建造されました。その後1391年に貴族のバトラー家に買い取られて以降約600年にわたりバトラー家のアイルランドの居城となりました。

バトラー家は、イングランド王にワインをお注ぎしたことから「バトラー(執事)」の名を与えられ、ワインの毒見役として、アイルランド輸入ワインの収益の10%を得ることになり勢力を増したと言われています。

20世紀初めに小作人制度の終焉で地主であった貴族たちが経済的に困窮した際、バトラー家などの名門貴族は息子をアメリカの大富豪の娘と結婚させることで窮地を切り抜けたそうです。

この話はイギリス制作の人気TVドラマ「ダウントン・アビー」と似たような話です。「ダウントン・アビー」のグランサム伯爵家はバトラー家と類似点が多くバトラー家からインスピレーション得たのではないかと言われています。

下の写真はキルケニー城の正面入り口付近の様子です。なかなか立派なゲートになっています。

お城の中庭の様子です。以前はこの中庭を取り囲むように建物があったそうですが今残っているのはこの写真の部分だけです。とても気持ちの良い広い芝生の庭が広がっています。

このお城には昔は堀や城壁があったそうですが現在はなくなっています。

左下は内部から見たいわゆる銃眼ですが、途中の壁の厚さが極めて厚くできていて戦いに備えた城だったことがよく分かります。右下はある部屋の天井ですが、昔の工法で作ったままの藁が見えています。

 

左下の飾り物は1万年以上前に生息していた「アイルランドヘラジカ」の角だと思われます。

立派なタペストリーが飾られた部屋です(下の写真)。

下の写真は、バトラー家所蔵の絵画が所狭しと壁に掛けられているピクチャーギャラリーです。天井の梁は、船大工の船の工法をまねて作られたそうで独特の景観を呈していました。数々の部屋の中でこの部屋が最も見ごたえがありました。

下の写真はお城の上階の窓から眺めた綺麗なお庭です。歩道のグレーの部分をよく見るとなぜかケルトの十字架(ケルト十字:十字が交差する部分に円環が施されている)の形に見えますがこれは単なる偶然でしょうか。

素敵なキルケニー城を見学した後、キルケニーの街で昼食をいただきました。前菜は鶏の甘辛煮風、メインは白身魚のから揚げ(フィッシュ・アンド・チップス)、ケーキとアイスクリームのデザートでした。特に前菜の鶏がとても美味でした。

昼食後はバスでダブリン市内へ戻りました。

次の観光先はボウ・ストリートにあるジェムソン博物館(旧ウィスキー蒸留所)です。

ジェムソンウィスキー蒸留所

「ジェムソン」は、200年以上の歴史を誇る伝統的なアイリッシュウイスキーブランドで、ブレンドしているポットスチルウイルキーだけでなくグレーンウイスキーも3回蒸留しているのと3年以上の樽熟成が大きな特徴です。そのライトな酒質となめらかな質感は、誰でも飲めるような飲み心地です。

「ジェムソン」の歴史は、1780年創業のボウ・ストリート蒸留所から始まりました。1786年にスコットランド出身のジョン・ジェムソン氏が蒸留所のゼネラルマネージャーに就任すると
やがて蒸留所の所有権を取得し事業を拡大していき、アイルランド最大かつ世界最大のウイスキー蒸留所の一つとなりました。

1920年代以降、アイルランドやアメリカでの禁酒運動やアイルランド独立戦争などの試練がありましたが無事に生き抜くことができました。

現在は「ジェムソン」はコーク市のミドルトン蒸留所で生産されています。ここのボウ・ストリート蒸留所は博物館として多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。

左下は博物館の入り口で「ボウ・ストリートのジェムソン蒸留所」と書かれていました。右下は試飲コーナーで、色々な種類の「ジェムソン」をもらうことができました。

 

下の2枚の写真は博物館内部の様子です。

博物館内部では「ジェムソン」の歴史などをテーブルの上へのプロジェクション・マッピングで説明してくれました(下の動画)。

8 30 012 1 3 ウイスキー蒸留所 1

また別の部屋では各種の「ジェムソン」の味比べができるようになっていました。アルコールを飲まない人はその香りを楽しんでいました。

一度ホテルへ戻り、夜は夕食を兼ねてアイリッシュディナーショーを見に行きました。

アイリッシュディナーショー

下の写真はアイリッシュディナーショーの会場の入り口です。

数名の楽器演奏者兼歌手が舞台の奥に並んで座っていて、その前でアイリッシュダンスが披露されました(下の写真)。夕食を食べている間に、4~5回のアイリッシュダンスを見ることができました。ダンサーは男性2名と女性2名の4名でした。

会場はあまり広くはありませんでしたが、当日は約300名のお客さんが入っていて満員状態でした。生でこのダンスを見るのは初めてでしたので4人のダンスでも迫力を感じました。

次の動画は2名の男性が競いながらダンスの技を披露している様子を撮影したものです。

8 40 012 3 アイリッシュダンス1

次の動画は少し見る位置を変えて別のダンスを撮影しました。

8 40 014 3 アイリッシュダンス2

これで旅程8日目の観光は終了です。

旅程9日目

旅程9日目は観光最終日です。この日は朝から午後3時頃までフリータイムになりました。

ダブリンの市内観光でまだ訪れていない観光スポットを巡ることにしました。クライスト・チャーチ大聖堂、ダブリン城、国立美術館、国立博物館自然史館の順に観光しました。

クライスト・チャーチ大聖堂

クライストチャーチ大聖堂は1038年にヴァイキングにより創建された教会で、ダブリン市内では聖パトリック大聖堂と並ぶ古い教会です。最初は木造でしたが、後に何度かの修復や改修により現在の堂々とした石造のゴシック様式の姿になったそうです。

教会内部は荘厳な造りになっていて、ロマネスク様式とゴシック様式が混ざったアーチの天井や、豪華なモザイクタイルの床が際立っています。また有料で入れる地下室には教会所有の宝物などが展示されています。

左下は美しいステンドグラスです。右下は様々な模様の豪華なモザイクタイルです。

教会の地下には銀食器や彫刻などの宝物が展示されていて、お土産コーナーもあります。荒削りの洞窟の中のような場所になっていて雰囲気がとてもよかったです。

ダブリン城

10世紀頃にヴァイキングの砦があった場所で、イギリスのジョン王によって1207年に建てられたお城です。1922年までの約700年もの間はここにイギリス総督府が置かれていたそうです。

ところでこのお城の庭の跡地に昔は池だった場所があり、初期の古典アイルランド語でDubh・lind(黒い水溜まり)があったことからこの街がダブリンと呼ばれるようになったそうです。

有料ですが豪華な階段や色々な部屋を見学することができます。居室(ステート・アパートメント)は現在でも様々な国家行事に使われているそうです。

左下は王座の間で王様の椅子が置かれています。右は聖パトリックホールで小さな体育館ほどの広い部屋です。

国立美術館

ダブリン市内にはかなり立派な国立美術館があり入場は無料です。主に14世紀から20世紀までのヨーロッパ絵画や彫刻を収集・展示しているそうです。

今回たまたま運よくフェルメールの手紙を書く婦人の2枚の絵が期間限定で並べて特別展示されていました。このようにシリーズ作品が並べられて展示されているとさすがに特別な迫力が感じられます。

下の「Mistress and Maid」は期間限定でニューヨークのフリック・コレクションから借りてきて展示されていました。

下の「Woman Writing a Letter, with her Maid」はここの国立美術館所蔵の絵画です。

個人的に好きなクロード・モネの絵もありましたので撮影しました(下の写真)。

国立博物館自然史館

アイルランド国立博物館自然史館は、アイルランドの動植物の標本が豊富に展示されており、精巧に作られた標本は保存状態がとても良く自然の姿をそのままに再現していると言われています。入場は無料です。当日は子供連れの家族がたくさん訪れていました。

下の写真は入り口を入ってすぐに目の前に現れる巨大なシカの標本です。ギガンテウスオオツノジカ(アイルランドヘラジカ)で約1万年前に生息していたそうです。この旅行記で紹介したキルケニー城の部屋にもこの角が飾られていました。

これで今回のツアーのすべての観光が終了しました。

夜にダブリンをブリティッシュエアウェイズの飛行機で出発しロンドンまで戻りました。ロンドンのヒースロー空港の近くにあるエアポートホテルに一泊し、次の日の朝にJALで羽田空港へ向けて帰国の途につきました。

おわりに

今回のアイルランドとスコットランドを巡る11日間の旅は、ツアーの参加人数がかなり少なかったので気楽に楽しく観光することができました。

観光スポットは、自然豊かで雄大な景勝地、お城などの中世の建物、独特の落ち着いた街並みなど訪れて面白い場所も予想よりたくさんあると思ました。ちなみに食事はスコットランドよりアイルランドの方が少し美味だったように感じています。

アイルランドとスコットランドの雨・曇り・晴れの非常に変わりやすいお天気には振り回されましたが、スカイ島、グレンコー渓谷、ダブリンのフリータイムの市内観光以外は、概ね晴れのお天気に恵まれたのは運が良かった方だと思っています。

天気が崩れると雨とともに強風が吹くことが多いので、観光では傘よりもフード付きのパーカーの方が良かったと思います。現地の人も多くの人が傘ではなくパーカーを着用して雨をしのいでいました。

今回のツアーでは旧ビール工場(ギネスストアハウス)と旧ウィスキー蒸留所(旧ジェムスン蒸留所)それぞれ1時間以上をかけて見学しましたが、お酒に特に興味がない人にとってはその時間で別の観光スポットを訪れる旅程の方が良かったと思います。

ところで、アイルランドはここ20~30年で主にITや製薬産業で飛躍的発展を遂げて現在では国民一人当たりのGDPがルクセンブルクに次いで世界第2位になっているそうです。アイルランドの将来にとても関心があります。

アイルランドとスコットランドは一般の人々にも英語が通じますので他のヨーロッパの国々よりは観光に行きやすいと思います。

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