はじめに
1月の中旬に4泊5日でカンボジアの世界遺産を巡る旅へ行ってきました。
この記事では旅程3日目のアンコール・ワットからの朝日鑑賞、アンコール・トム、バンテアイ・スレイでの観光をご紹介します。
3日目~朝日鑑賞、アンコール・トム、バンテアイ・スレイの観光
3日目は早朝にバスでホテルを出発しアンコール・ワット西参道からの朝日鑑賞へ行きました。
日の出前の素晴らしい朝焼けを期待していましたが実際はほんの少しだけ朝焼けの風景を見せてくれました。
池に塔が反射する景色が最高だということでほとんどの観光客が池の前に密集して熱心に写真を撮っていました。非常に混み合っていて列の前のほうにはとても進めなかったのでほどほどの所で写真を撮りました。
池の前で日の出前の風景を撮影した後、少し場所を変えて次は朝日が昇る景色を見学し撮影しました。太陽が水平線から登ってきた瞬間の早朝の静寂の景色です。
少し経つと辺りは急に明るくなってきました。大勢の観光客が来ていたことに気が付きます。
ところで太陽が昇るのを待っている間に、すぐそばにいた米国人のご婦人としばし会話する機会がありました。
ハワイから22名のツアーでカンボジアとラオスの観光旅行に来ているとのことで以前東京に旅行した時の写真などを見せてもらいながら歓談しました。傍にはハワイの日系3世の別のご婦人も居ましたが3世なので日本語は全くできないとのことでした。
思いもかけずこのような場所でネイティブの米国人と楽しく会話することが出来て少しの間ですがとても楽しい時間をもつことができました。
ともあれ薄く赤く染まる空を背景に尖塔を有する荘厳なアンコール・ワットが幻想的な姿を見せてくれたことはとても貴重で印象的な思い出になりました。
朝日鑑賞時には蚊が出現するだろうという話でしたが運よく蚊はまったく見かけることはありませんでした。
その後ホテルへ戻り朝食をいただきました。
朝食後はまた観光バスで次の観光地であるアンコール・トムへ向けて出発しました。
道路の様子(左上)と途中で見かけた市場の様子(右上)
道路沿いの市場の様子(左上)とアンコール・トム入場の検問所(右上)
アンコール・トム
アンコール・トムは12~13世紀にかけてジャヤヴァルマン7世が創建したアンコール王朝最後の栄華を誇った都市跡です。東京ドーム60個分の広さを誇っているそうです。
アンコール・トムへは南大門から入場します。
南大門を望む道路(左上)と道路わきに並んだ石像群(右上)
左上は四面仏を最頂部に配した高さ23mの大門です。右上は南大門を入って振り返って撮影した風景です。両側は城壁が続いていました。
石材の中に詰められた砂の説明(左上)と石の表面にレリーフを削る道具の説明(右上)
石材を組み合わせていくときには接着剤は使わずに石同志をこすり合わせて表面を平らに削り密着させていたそうです(左上)。右上はユネスコの世界遺産登録の記念碑です。
記念碑の裏側には日本語の表記もありました(左上)。右上は中央にある複雑な建築様式を備えた仏教寺院のバイロンです。
なおガイドさんによるとカンボジアの遺跡の修復は日本政府からの支援もあるとのことです。私たちが払っている税金の一部がこのように使われて役立っているのを聞くと何故か少しうれしくなりました。
壁には軍隊の戦いや行進の様子、乳海撹拌など色々なレリーフが施されています。
アンコール・ワットの壁画は宗教説話的なものが多いそうですが、バイヨン寺院には庶民的な壁画が多く残されています。形はどれも非常に鮮明に残っていました。
右上の写真は女神像デヴァダーです。回廊の至ることろで見かけることができ穏やかな微笑みの表情や装飾品はすべての像で異なっているそうです。
遠くのほうに像のテラスが見えてきました(右上)。
像のテラスに近寄って見た景色です。主に王族の閲兵に使われた長さ約300mの場所です。
像のテラスに上がって見渡した風景です(左上)。
右上の写真は王族が使っていたプールだそうです。今も使えそうなくらいに綺麗に残っています。
プールの脇ではあらたな発掘が進められていました。この辺りは今は土に埋まっていますが昔の土地は今の地面から1~2m地下にあるそうです。
アンコール・トム遺跡の見学を一通り終えて森の木陰にあるお手洗いに寄りました。そこにはたくさんのお土産物屋さんや簡易レストランが並んでいました(左上の写真)。
日本人の観光客はこのような場所では食事をしないそうです。どうも日本人はお腹を壊しやすいからのようです。
私たちは近くのレストランに行って日本食の昼食をいただきました。サバの味噌煮や茶わん蒸しなどのメニューでした。
昼食後バスでホテルへ戻り昨日のように2時間程度の休憩に入りました。今日もまた靴が赤土色に変わっていたので綺麗にふき取りました。
昨日は2時間の休憩でかなり退屈したのでどこかに出かけようと近辺の観光スポットを探したところ、宿泊ホテルから1~2kmほどの近郊にアンコール博物館やカンボジア戦争博物館などがあることが分かりました。
しかしこれらを探し当てたときにはすでに休憩の残り1時間を少し切っており、時間が足りないと判断し行くのは諦めることにしました。とにかくこの2時間は中途半端だと思いました。
午後はバンテアイ・スレイへ観光へ向かいました。
バンテアイ・スレイ
観光バスで移動し「東洋のモナリザ」で有名なバンテアイ・スレイへ到着です。
バンテアイ・スレイは「女の砦」を意味していて10世紀後半に建立された小さな寺院です。寺院全体が赤色がかっていますがこれは赤色砂岩と赤土によって建造されているためだそうです。
壁面の彫刻はアンコール遺跡の中で最も精緻で特に中央神殿の祠の女神像のレリーフはその微笑みから「東洋のモナリザ」と言われています。
バスを降りてバンテアイ・スレイを目指してまた赤土まみれの道を歩いて行きます。すると思っていたよりも小さな門がありました。
可愛い門を抜けると向こうのほうに小さく尖塔が見えてきます。右上の写真は壁に張り付くように作られた蟻塚です。蟻塚はとても丈夫なので昔は鉄を作るのに使われていたそうです。
右上の写真は池の向こうに寺院を望む撮影スポットからの風景です。
確かに小振りの寺院ですが屋根や壁面一面に隙間なく緻密なレリーフが施されています。当時は大変な作業だったと想像できます。
中央神殿の祠に刻まれた「東洋のモナリザ」が見えます。
この寺院は外周を一回りすることができるようになっていて色々な角度から楽しめるようになっています。方向が異なると一層赤みが増すような景色も現れてきます。
右上の写真は「シヴァ神」のレリーフで雄牛ナンディンに乗ってカイラス山に住む破壊神かつ創造神だそうです。
昔は寺院の中ほどまで立ち入ることができたそうですが、観光客が彫像などを触り壊してしまうので現在は立ち入り禁止になっていました。
ここはアンコール遺跡群の中で最も精緻なレリーフということですべてをしっかりと観察するにはもっと時間が必要だと思われました。
なおこの寺院は他の観光スポットと違い観光客はそんなに多くは来ていませんでしたので、ゆっくりと落ち着いて鑑賞することができました。
バンテアイ・スレイの観光後、バスで途中民芸品店などを訪れその後大きなレストランへ夕食をいただきに向かいました。
そのレストランではアプサランダンスという宮廷舞踊を見ながらのビュッフェスタイルの夕食を楽しみました。ダンスは色々な種類のものが長い時間に渡って披露されていました。
その後夜にホテルへ戻り3日目の観光を終了しました。
この旅行記は「カンボジアの世界遺産を巡る旅(3)」へ続きます。