はじめに
10月中旬に9日間で中国のシルクロード(西安、敦煌、トルファン、ウルムチ)を観光旅行しました。この記事では旅程4日目の沙州市場、旅程5日目の白馬塔、敦煌から高速鉄道でのトルファンへの移動、旅程6日目のトルファンの高昌故城、火焔山、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、カレーズなどの観光の様子をご紹介します。
旅程4日目(続き)
陽関と玉門関の見学を終えた後、日本食レストランへ行って夕食をいただきました。
右下が今回のツアー中での唯一の日本食の夕食です。メインはさんまの塩焼きでしたが、写真を見て分かるようにディナーというよりは日本のお昼のさんま定食のようでした。それでも中華料理が続いていたので日本食ということでグループの皆さんは喜んでいました。

夕食後はホテルの近くにある沙州市場へと向かいました。下は入り口の立派な門です。
市場の通りは明るくにぎやかで楽しく散策できました。
この地域では葡萄やナツメヤシなど果物の干物があちらこちらで売られていました。

左下は世界に一つ?の五つ星のお手洗いだそうです。右下は手を洗う場所です。洞窟の中にトイレを造ったイメージになっていましたが、内部はそれほど特別なことはありませんでした。

ここで散策の時に撮影した動画を2本ご紹介します。
最初は広めの通りの散策の様子です。
次は屋台が所狭しと立ち並ぶ通りの散策の様子です。色々なものが売られています。
下の写真はホテルに戻るときに撮った街の様子です。クリスマスの時のように街路樹の幹にLEDライトが点灯していました。歩道も思ったより綺麗に清掃されていました。

旅程5日目
旅程5日目は午前中に白馬塔を観光しました。
白馬塔
白馬塔は386年に建てられた高さ12mの9層で黄白色の塔です。敦煌市の西にある七里鎮白馬塔村(沙州古城の内部)にあります。4世紀末頃、亀茲国出身の高僧である鳩摩羅什(クマラジーヴァ)が敦煌を訪れた時に経典を積んでいた白馬が病死してしまったことを悼み建立されたということです。

右下は沙州(敦煌)古城の城壁跡です。まだ少しだけ残っていました。

左下は庭に植えられていたここではよく見かけるリンゴナシの木です。右下はそのリンゴナシの実ですが、日本のナシに比べて一回り小さく、手のひらにすっぽり入りそうなくらいです。

下の写真はお庭の隅に置かれていた鳩魔羅什(クマラジーヴァ)の仏像です。この高僧がここの白馬塔を建造しました。

昼食は近くのレストランで郷土料理をいただきました。いつもたっぷりの量が出てきますので、ついつい食べ過ぎになりました。

昼食後、柳園南駅へ行きました。
途中の車窓からの風景を動画に収めました。窓からは綿花畑が見えていました。
下の写真は柳園南駅の待合室の様子です。ここで1時間ほど電車を待ちましたが、出発時刻が近ずくにつれてこの待合所はとても混雑してきました。またホームでもとても混雑していて指定席に乗るために人込みの中、右往左往して気疲れしました。ここでもオーバーツーリズムの様相を呈していました。

左下は乗車したトルファン行きの高速鉄道です。日本の新幹線のように乗り心地は良かったです。車窓から遠くに有名な天山山脈のシルエットが見えていました(右下)。

途中で見えた車窓からの風景です。ポコポコとした小高い丘が連続する荒れ地が続いていました。
日本では見かけない車内販売の様子を撮影しましたので下にご紹介します。男の係の人が乗客に塗り薬を盛んに勧めて売っていました。中国語で「擦、擦、擦、擦、舒服、舒服」(ツァー、ツァー、ツァー、ツァー、シューフー、シューフー)と盛んに言っていましたが、これは「ツァー」が「塗る」意味で、「シューフー」が「気持ちがいい」の意味です。
向こうが見えないほどの広い敷地にとんでもない数の風力発電の風車が並んでいる場所を通過していきました。日本ではとても考えられない規模の風力発電所です。
約3時間20分でトルファンに到着しました。下は立派なトルファン駅です。

トルファン
トルファンは中国新疆ウイグル自治区の東部にある人口約70万人のオアシス都市でシルクロードの重要な中継地として古くから栄えました。海抜マイナス154mのトルファン盆地は、中国で最も低い場所として知られています。ウイグル族が多く暮らし葡萄の産地としても有名です。
トルファンに到着した後、夕食でトルファン料理をいただきました。宮殿のような異様に大きくて広いレストランへ行きました。

左下は室内の様子です。右下は廊下の壁に飾られていたパテストリーですが、イスラム風の街角の風景でした。

下は次の日に撮影した、トルファンで連泊したホテル「西域カースホテル」です。

旅程6日目
旅程6日目は、高昌故城、火焔山、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、カレーズ、ウイグル族民家訪問など盛りだくさんなトルファンの観光をしました。
ホテルを出て最初に高昌故城へ向かいました。
トルファンの街並みの様子を動画で撮りました。
バスの中では現地ガイドさんが新疆ウイグル観光地図を広げて説明してくれました。

その後バスは火焔山の傍を通過しました。下の動画には火焔山がしばらく写っています。
「昔、三蔵法師(玄奘三蔵)が孫悟空などを引き連れてこの火焔山に来たときに、火焔山が燃えて熱かったのである人に扇子を借りて仰いで火を鎮めようとしたところ逆に火が強くなってしまい、だまされたと分かりました。その強くなった火のせいで孫悟空のお尻が焼けて赤くなってしまったそうです。そのために現在お猿さんのお尻が赤いそうです。」というような逸話をうかがいました。
この地域の特産物である葡萄の畑や葡萄乾燥小屋が車窓に見えてきたので撮影しました。ここの特産の干し葡萄は、画面に映っている、たくさんの四角の小さな穴が開いたレンガ造りの小屋の中で干されます。そのように風通しを良くして日陰で干すと葉緑素が残りグリーン色の美味しい干し葡萄ができるそうです。
高昌故城
高昌故城は、トルファン市街地から南東へ約46kmの距離にあり、499年に漢人麹嘉により建設された高昌国の王城跡です。630年に三蔵法師がインドへ向かう途中、麹氏の厚いもてなしにより約1カ月間ここに留まり仏教を講義したということです。
政治・文化の中心として栄えていましたが、640年に唐に滅ぼされたそうです。当時の王城は東西1.4km、南北1.5kmのほぼ正方形の地域でした。現在は城壁、王宮など建造物はほとんど風化し基礎部分だけが残っています。
観光の入り口の建物の前で今にも歩き出しそうな三蔵法師の像が迎えてくれました。

下の写真は入り口にあった全体図です。ほぼ正方形の敷地が認識できます。

城壁内はかなり広いので電気カートで移動しました。周囲の遺跡の風景はとても独特でした。
下は仏教寺院跡のようです。

再び電気カートで移動です。その様子を2本の動画に収めました。
形がある程度残っていたり一部修復されたりしている建物はほとんど仏教関係の建造物のようです。仏像や壁画などは全く残っていませんでした。


左下は王宮があったエリアだということです。当時から建物は土色のままで、外装や内装をカラフルに飾り付けるようなことはなかったようです。

火焔山の休憩・写真スポット
高昌故城を後にして火焔山の谷間に入って行きました。ここは休憩・写真スポットになっていました。

赤土の山が印象的です。右下は土の中に卵を埋めてゆで卵を作る場所のようです。夏場はかなりの高温になるとのことです。

左下は赤色の山々の風景です。右下はラクダに乗る体験ツアーのようです。

赤い不思議な山々を鑑賞した後はベゼクリク千仏洞へと向かいました。
ベゼクリク千仏洞
ベゼクリク千仏洞は、トルファン市高昌区の火焔山周辺にある5世紀から14世紀に掘られた仏教石窟です。
ここには77の石窟があります。その大部分はアーチ状の天井を持つ長方形の空間になっており、天上全体を数百の仏陀の壁画で覆っています。現在残っている大半が9~11世紀ころのものだそうですが、保存状態は敦煌などに比べてとても良くないです。
当時仏教を信奉していたウイグル人が造営に携わった仏教遺跡の中で最大のものがベゼクリク千仏洞だそうです。壁画にはウイグル王侯貴族の姿が寄進者像として描かれていて当時のウイグル人の様子を知ることができるということです。

下の写真は15号窟で、NHKや龍谷大学などが中心となってデジタル復元に挑んだ窟で、NHKの新シルクロードシリーズでも紹介されたようです。

ベゼクリク千仏洞に壁画、写本、仏像などがほとんど残っていない大きな理由が、ドイツをはじめとする各国探検隊がはぎ取ったりして自国へ持ち帰ったからだそうです。



ベゼクリク千仏洞の見学を終えて火焔山から離れるときに車窓の風景を撮影しました。
この日の昼食はレストランで郷土料理をいただきました。

蘇公塔
蘇公塔は、トルファン市の東に約2Kmの位置にあり、形がユニークなイスラム教の塔です。蘇公塔は新疆で現存する最大の古塔で、紀元1778年に清朝の名将トルファン郡王・額敏和卓が建造したものです。蘇公塔の高さは44m、塔の土台の直径は10mで、塔内には72段の螺旋階段があります。

塔の表面には層によって三角形紋様、さざ波紋様、菱形紋様などの15種類の幾何模様が造られていてイスラムの建築スタイルを備えています。

左下は蘇公塔に隣接する蘇公塔礼拝寺です。新疆で最大のイスラム教礼拝寺の一つだそうです。右下はその内部の礼拝室の様子です。

カレーズ
そもそもシルクロードのオアシス都市は水の主な供給方法で3種類に分けられます。最初は主に川の水を利用するごく一般的な方法によるオアシスです。次は主に湧き水を利用するオアシス、最後が主に地下水路を利用したオアシスです。
トルファンは約800年前に建設した地下水路を主に利用したオアシス都市です。地下水路のことをカレーズと呼び、地中に水を流す施設の事です。トルファンには天山から春と夏に大量の雪解け水と雨水が谷に流れ込みゴビ砂漠の地下に流れ込んでくるので、地形の傾斜をうまく利用して地下にカレーズを作り、流水を引き込んで灌漑用水や人・家畜の飲み水として使っています。
下はカレーズ観光の入り口の様子です。カレーズとの関係がよく分かりませんが飾り付けが何故かワイルドです。

左下は入ってすぐのところで歓迎してくれた男性のお人形です。ウルムチの街角でよく見かける有名人のアバンティ人形のように見えますが髭がかなり違うので別人だと思います。
右下はカレーズを掘っている様子を再現したマネキンです。

下の写真はトルファンのカレーズがある地区の航空写真ですが、地下水路に沿って均等に掘られた竪穴の入り口が並んだ光景です。

トルファンのカレーズは高さ1.5m、幅60cm、長さ3~4kmのものが多く、長いものでは10数kmに及ぶものもあります。下の絵のように天山の麓から数百本ものカレーズが掘られました。完成までは極めて大規模な工事だったと想像されます。

下は現在も水が流れ続けているカレーズの地下水路で、上がガラス張りで内部が見学できるようになっていました。

カレーズの地下水路の見学の後はウイグル族の民家を訪問して夕食をいただきました。
道中でバスの車窓から写した風景です。ここで見たトルファンの街並みはイスラム風の家々が特徴的でした。
ウイグル族民家訪問
左下は民家に入る様子です。とても派手な色合いのお家でした。夕食ではシシカバブの料理も出てきました。写真の小皿には特産のグリーンの美味しい干し葡萄が入っています。

この旅行記は「シルクロードの旅(4)」へ続きます。