はじめに
10月中旬にツアーに参加して9日間のシルクロードの旅に行ってきました。
シルクロードと言えば学校の授業やテレビなどで昔から何度も見聞きする機会があり、特別な興味を持っていました。十数年前から自分の行きたい旅行先リストに載せていましたが、いざ具体的に日にちを決める段階になって、春の砂嵐や数年続いたPM2.5の大気汚染の問題などがあり他の旅行先を優先していたために長い間先延ばしになっていました。
この秋になって状況を確認すると特に大きな問題はなく、さらに今年いっぱいは中国へはビザなしで観光できるというチャンスだったので急遽旅行を決めました。
シルクロード
シルクロードは最初はアジアとヨーロッパを結ぶ一本の道だと誤解していましたが、後になって複数あることが分かりました。下の地図は国立情報学研究所が公開しているシルクロードの地図です。赤色の線を含めたグレーの線すべてがシルクロードです。

シルクロードは大きく分けて3つあり、上の地図の一番北側を通る道(グレー)がステップ・ロードで、一番南側の海を通る道(グレー)がシー・ロード、そして最も有名な道(狭い意味でのシルクロード)がオアシス・ロード(赤色)です。ステップ・ロードとシー・ロードはかなり古い時代から使われていたようです。
シルクロードは、紀元前114年頃に漢王朝がが中央アジアに進出し、軍人・外交官である張騫が西方への道を探検した時に始まりました。その後ローマ帝国との交易や唐代の繁栄を経て、ユーラシア大陸を横断する壮大な全長6,400Km以上にも及ぶ交流ルートへと発展していき、1,500~2,000年間もその役割を果たしていました。シルクロードでは、物資だけでなく、異なる文化圏の思想・宗教(特に仏教)・技術・知識なども交換され、色々な場所でそれらが癒合されて新たな形が形成されていきました。
2014年に洛陽・西安、敦煌、中央アジアのルートが世界遺産に登録されました。
今回のツアー
今回参加したツアーでは、オアシス・ロード上にある西安(起点)、敦煌、トルファン、そしてウルムチを訪れて観光しました。上の地図でも分かるようにシルクロードのごく一部になりますが、「悠久のシルクロード」の雰囲気は十分に味わうことができたと思います。ツアー参加者は十数名で貸し切りバスの席もゆったりと使えました。
旅程概要
成田空港を午後出発して西安へ行きホテルに一泊しました。次の日に兵馬俑や秦の始皇帝陵などを観光しました。旅程3日目は午前中に明代城壁を見学して、国内線で西安から敦煌へ飛びました。敦煌到着後は博物館や鳴沙山の砂漠を見学し敦煌のホテルに宿泊しました。
旅程4日目は、莫高窟、玉門関、陽関などを観光し敦煌に連泊しました。旅程5日目は白馬塔を見学した後、高速鉄道に乗ってトルファンへ移動しホテルに宿泊しました。旅程6日目は、高昌故城、火焔山、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、カレーズ、民家訪問などの観光をしてトルファンに連泊しました。
旅程7日目は、午前中に交河故城を見学した後、バスでウルムチへ移動し、国際バザールを観光してホテルへ行きました。次の日は午前中に天地を観光し、夜の国内線で上海へ移動してホテルに宿泊しました。旅程9日目は朝早く上海の空港へ行って国際線で成田まで帰ってきました。
今回の旅行では観光地やホテルでは他の中国人の観光客で非常に混雑していて、このような混雑した状況になる前の十数年前に訪れた方が良かったと思いました。この十数年で多くの中国人が経済的に益々豊かになり、海外旅行もそうですが、見どころが多い中国国内旅行が特に盛んになり、どこの観光地もオーバーツーリズムの状況になってきているようです。
旅程1日目
午後に中国東方航空の国際線直行便で成田空港から西安へ行きました。到着が夜でしたのでそのまま西安のホテルへと行きました。西安空港内部には最近下の写真のような豪華な中国式建物が建てられていました。

左下は連泊したシェラトン西安ホテルです。右下は到着時のロビー内の様子です。

食事は機内食でしたのでそのままチェックインして早々に寝床に着きました。
旅程2日目
この日は観光初日で一日中西安の観光でした。まず秦始皇帝兵馬俑の見学に向かいました。
秦始皇帝兵馬俑
兵馬俑は、秦の始皇帝のために紀元前3世紀につくられ、彼の死後の世界で軍団を率いるためだと言われています。この場所は1974年に発見されて世界遺産になっています。
3つの俑坑には戦車が約100台、陶馬が約600体、武士俑は成人男性の等身大で約8000体あると言われていますがまだ周囲には未発掘の遺跡が眠っているそうです。
外はあいにくの小雨でしたが、大勢の観光客が訪れていました。下の写真は傘をさして正門に並ぶ入場者の様子です。

最初に最も有名な一号坑を見学しました。テレビや写真などで何度も見かける光景でした。

思っていたよりも広いドーム状の建物に綺麗に陶製の兵士像が並べられていました。一人ひとりの姿や顔が違っていて、規格を決めて大量生産することなく一つひとつ手作りでこれだけの数の物を作るのは大変だっただろうと想像されます。なお兵士は皆東の方向を向いているそうです。

右下は最近掘り出されたばかりの兵士像のようで土手の上に一時的に並べられているようでした。

次に三号坑の見学をしました。こちらは軍隊が整列した状態ではなく、壁に沿って兵士像が立っているような様子でした。

最後に訪れたのは二号坑です。ここでは兵士像は溝の中にまだ倒れたままになっていてこの後どのように復元するのか楽しみな状況でした。

右下は綺麗に色が塗られた鎧を着た兵士像です。軍団の兵士像や馬などの色が再現出来たらとても華やかな色彩を放つだろうと思われました。

右下のように、一つひとつの像は細部まで丁寧に作られていました。

このような大規模な兵馬俑は秦の始皇帝の権力と強大さを迫力をもって知らしめているようでした。
ところで掘り出された兵士像や馬の像の中で特に文化的・芸術的価値が高いものは、会場内のあちらこちらでガラスのケースに入れられて特別展示されていました。その周りには近くで見ようとして常に6重7重の人垣ができていて見ることも写真をとることもままならない状況でした。
現地ガイドさんには「かなり強引に人垣に割って入って行かないと写真も撮れませんので頑張ってください!」と言われました。そこでツアーグループの人たちは皆中国人に負けじと果敢に割り込んでいきました。
最近は中国の人たちもかなり裕福になり、兵馬俑のような国内の有名観光地はオーバーツーリズムの状況になっていました。
この後休憩で立ち寄ったお土産物屋さんの様子を動画で撮影しましたので下に紹介します。陶器の兵士像がたくさん売られていました。
この日の昼食は中国の陝西省の郷土料理であるビャンビャン麺でした。

左下は赤い垂れ幕に書かれたこのビャンビャン麺の漢字ですが、一文字で57画の極めて複雑な漢字が使われています。右下がこの時食べたビャンビャン麺です。酢の酸味とピリ辛の香辛料が利いたもちっとした食感でするすると食べやすく美味しい麺料理でした。

別のお店ですが店先でビャンビャン麺の売り子さんが声を張り上げていましたので動画で撮影しました。
銅馬車館と秦始皇帝陵
次に向かったのは銅馬車館と秦始皇帝陵です。下は入り口付近の様子です。

銅馬車館
銅馬車が埋もれていた時の状態を再現した展示です。

下の2枚の写真は銅馬車を復元したものです。銅の鋳造・加工技術が大変優れていたことが分かります。

下は近くに展示されていた弓です。弓の弦が二本あるのは珍しいと思います。二本で矢の威力を倍増させる工夫だと思われます。

秦始皇帝陵
下の写真は秦始皇帝陵の観光の入り口の様子です。

敷地内はとても広いので電気カートに乗って入って行きました。風を切って気持ち良い移動でした。

下の写真は秦始皇帝陵です。向こうの小高い山全体のようです。この陵墓は紀元前3世紀に建設されました。高さ約76mのピラミッド型の土塁の下部には始皇帝の棺が納められた地下宮殿が存在すると言われています。また水銀の川や海が作られたとも伝えられています。
ここはまだあえて発掘していないそうです。内部にあると思われる貴重な遺跡が痛まないように配慮しているのだと思います。発掘すれば秦の始皇帝の思想を研究する上で極めて貴重な資料・場所になると思いますが、いつ頃発掘できるかはまだ分かっていないそうです。

下は秦始皇帝陵の記念撮影で人気のスポットです。この場所は特に花が綺麗に整備されていました。

次に向かったのは玄奘三蔵(三蔵法師)ゆかりの大雁塔です。
大雁塔(西安大慈恩寺仏塔)
大雁塔は大慈恩寺内にあります。大慈恩寺は中国仏教史で重要な寺院の一つで、文徳皇后を追悼するために648年に建立されました。下は大慈恩寺の入り口です。

大雁塔の正面からの写真です。大雁塔は大慈恩寺内の象徴的な建築物で、玄奘三蔵が主にインドから持ち帰った仏教経典や仏像を保存するために652年に建設されました。塔は7層の楼閣式構造で高さは約64.5mあり、荘厳かつ壮大な外観が特徴です。ここは2014年に世界遺産に登録されました。

大慈恩寺内にはたくさんの仏教関係の建物や仏像などがありました。

大慈恩寺では2本の動画を撮影しました。最初の動画では壁一面に仏教の教えが豪華な絵で彫刻されている様子や経典などの資料がガラスケース内に展示されている様子が分かります。
次の動画は大慈恩寺入り口付近の様子です。多くの観光客が大雁塔を背景に記念撮影をしていました。
青龍寺
青龍寺は最初は隋代の582年に建立されました。最盛期には中国仏教四大寺院のひとつに数えられ、多くの僧侶や学者が集まり「長安三大寺」として政治・文化・宗教の中心地として栄えました。
また青龍寺は弘法大師・空海(くうかい)が修行した場所です。日本の平安時代に留学僧として遣唐使船で中国に渡った空海は804年から6年間この寺で密教の研究に励みました。その後密教の奥義を日本に持ち帰り、真言宗の開祖となりました。空海は仏教の布教とともに中国の文学・書道・天文学・医学などの知識を日本に伝え、日本と中国の文化交流に多大な貢献をしました。

お庭には象の形をした岩が置かれていました。

館内には日中交流に関わる色々な資料が展示されていて、下は日本が遣わした遣唐使の年表です。

左下は1982年に建てられた空海記念碑です。これは日本の四国にある四つの県(徳島・高知・愛媛・香川)が寄進したものです。四隅の丸い置物が四つの県を表しているとのことです。
右下は壁に描かれていた空海の肖像画です。その隣には空海の師匠であり、唐の有名な高僧で青龍寺を主催していた恵果の肖像画もありました。

なお青龍寺は日本の四国のお遍路の第0番札所になっています。ここでは特別霊場「第0番札所」の朱印を戴くことができます。
この日の夕食は西安名物の「餃子宴」を楽しみました。

色々な種類の餃子が大量に出てきました。どれも美味で満腹になりました。

夕食後は、西安で最も夜景が美しいと言われてる場所を軽く散策しました。

下はこの時の様子を撮影した動画です。
散策後、宿泊先のシェラトン西安ホテルへ戻ってきました。
唐歌舞ショー
この日の夜には、希望者だけ約1時間10分の唐歌舞ショーを鑑賞しに行きました。このショーでは少し難解な北京の京劇とは違って、単純に踊りや歌、中国古来の楽器演奏を楽しむことができました。

このショーでは撮影が許可されていたのでたくさんの動画を撮りました。ハイライト部分を編集した動画を2本下に掲載します。
上の動画以外にも撮影していないコミカルな演目などがいくつかありました。
ショーは舞台も豪華で美しく、踊りや演奏、歌もとても満足できるものでした。
この旅行記は「シルクロードの旅(2)」へ続きます。