海外旅行回想録(15) ー ドイツ(後編)

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではドイツ旅行(後編)の体験をご紹介したいと思います。

15. ドイツ(後編)

この記事ではドイツ観光の後編としてハーナウ、ハイデルベルク、フュッセン、ミュンヘンなどの都市の観光の様子をご紹介します。

ハーナウ

ハーナウはフランクフルト からわずか 25 km の距離にある小さな街です。ここはドイツの民話を世界に広めた作家として著名なヤーコブ・グリムとウィルヘルム・グリム (グリム兄弟) の生まれ故郷として知られています。

ここはドイツ内の有名な観光街道のひとつ、ハーナウからブレーメンまでを結ぶ「メルヘン街道」の出発地となっています。

メルヘン街道は約600kmに渡り、グリム兄弟が子供時代を過ごしたシュタイナウ、大学で学んだマールブルグ、グリム童話制作に励んだカッセルなど兄弟が生活した色々な場所を結んでいます。

ハーナウは小さな町でしたので市内観光もあまり時間はかかりませんでした。まず最初に訪れたのは何といってもグリム兄弟記念像です。

上の写真はハーナウの街の中心部にあるマルクト広場の中心部に建つグリム兄弟国立記念像です。ウィルヘルムが本を膝の上に置いて座っていて、その傍らでヤーコブがその本を覗き込んでいる様子を表現したブロンズ像で、高さは 約6.5mです。

また足元には、ここがメルヘン街道の出発点であることを記したプレートも埋めてあります。グリム兄弟像の後ろにあるちょっと立派な建物がハーナウ市庁舎です。

市街地からは少し離れていますがマイン川河畔にフィリップスルーエ城があります(上の写真)。ヘッセン州の最も重要な文化的建造物の一つで、18世紀の初めに建てられ、戦争による火災などの後再建されて現在の姿となっています。この建物の中には博物館や美術館があり、内装がとくに美しいことで有名です。

上の写真は街を散策中に見つけた古井戸です。歴史的な遺産のようでとても立派な装飾がほどこされていました。

ハーナウの街にも上の写真の背景のお家のように、ローテンブルクでたくさん見かけたような美しい木組みのお家があちらこちらにありました。

私たちが観光でハーナウを訪れた時は秋の観光シーズンでしたが街中にはあまり観光客らしき人は見かけませんでした。地元の人が少し行き交う程度で、ハーナウの街がとても落ち着いた静かな街だと感じました。

グリム童話に思いを馳せながらゆっくり静かに観光や散策を楽しみたい人には是非お勧めしたい街です。

ハイデルベルク

ハイデルベルクはフランクフルトの南約100㎞にある古都です。ネッカー川の川畔に13世紀に建てられた選帝侯のハイデルベルク城がそびえ立ち、14世紀創設の名門ハイデルベルク大学を有する文化・学園都市です。

堂々とした古城が見守る赤い屋根の美しい街並みは中世の雰囲気を残しておりゲーテやショパンをはじめとする多数の文化人に愛されてきました。

ドイツ観光街道の一つである古城街道のハイライトとして紹介されているハイデルベルクは世界中から年間300万人以上もの観光客が訪れ、日本人にも非常に人気のある観光地となっています。

このハイデルベルクは私が最も好きな構図の風景を提供してくれています(上の写真)。すなわち丘の上の古城、麓に広がる城下町、そして街の中を流れる川という3点セットの贅沢な構図からなる風景です。

以前の記事「海外旅行回想録(12) ー オーストリア」の中のザルツブルクの紹介の所で、

「丘の頂には堂々としたホーエンザルツブルク城がそびえたち、街の中心を流れるザルツァッハ川と旧市街地の風景は、19世紀の探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトに「世界で最も美しい街」といわしめた風格があります。・・・」

と書きましたがこのハイデルベルクもザルツブルクと同じ理想的な3点セットの構図の風景となっています。

上の写真で見えていたネッカー川にかかる橋の麓から、橋と遠くにかすむハイデルベルク城を撮影した写真が下の写真です。現在このアングルの風景は観光客に大人気の撮影スポットになっているそうです。

この橋はカール・テオドール橋で茶色に輝くとても美しい石橋です。全長約200mで9つの連続した石造りアーチの構造で建設されていてハイデルベルクのシンボルの一つにもなっています。見張りに使っていた白壁の2つの橋塔(ブリュッケン・トーア)が現在も橋門の左右にそびえ立っています。

この橋は選帝候であったカール・テオドールの命によって1788年頃に建造されたそうですが、その後ネッカー川の洪水の被害などにより何度も修復されたそうです。また写真でも分かるように橋脚の上に建造主であるカール・テオドールの像が立っています。

   

中世の趣を残したハイデルベルクの街をゆっくりと散策しました。秋の行楽シーズンでしたが時々小雨が降っていたせいか人通りはあまりありませんでした。

また私たちが訪問した三十数年前はドイツはまだ日本人にはそれほど人気の観光地にはなっていませんでしたので観光中にほかの日本人観光客に出くわすこともありませんでした。最近ではドイツはフランスやイタリア同様に日本人にとても人気の観光地となっています。

   

左上の写真は遠くにハイデルベルク城を見ることができる街角です。右上はネッカー川と遊覧船の様子です。

上はハイデルベルク城にかなり近づいた場所から撮影した写真です。この位置からですと堂々としたお城のほぼ全体を眺めることができます。

ハイデルベルク城は13世紀始めにプファルツ伯の居城として造られた城でゴシック、ルネサンス、バロックなどの様式が見られるということです。

ハイデルベルク城の中にある巨大で頑丈な塔が破壊されたままに放置されていました(上の写真)。戦争中に砲撃の直撃を受けたかフランスの占領軍によって意図的に破壊されたかのような生々しくて凄まじい跡がそのまま残っています。近くで見るとかなりの迫力でした。

このお城は遺跡として公開されている以外は特に使用されていないようでした。

このような崩れ落ちるままの姿は「廃墟の美」の様相を呈し、ゲーテ、カント、ショパンなどの芸術家・哲学者たちがこの城の美しさを称え、芸術的・哲学的なインスピレーションを得たとも言われています。

上はお城のテラスから城下町を眺望した写真です。ネッカー川とカール・テオドール橋も見えています。お城側からの眺望もなかなかの絶景です。

なおハイデルベルク城の地下には容量約22万リットルの世界最大級のワインの大樽も展示されています。樽の上部に上ってその巨大さを実感できるようになっていて迫力満点です。

ところでハイデルベルクの街はずれ付近を散策中に、それほど遠くはないと思われる山の中腹にたまたまお城の塔のようなものを見つけました。現地の人に道を尋ねながら山道を登っていきついに小さな古城(砦)にたどり着くことができました。

上の写真がその古城の門らしき場所です。めったに人が訪れることがないようでちゃんとした道もありませんでしたがとにかく敷地内、建物や周囲を見て回ることにしました。

この古城は観光ガイドにはもちろん紹介されていませんし現地の人にしか知られていない場所だと感じました。とても静かな山の森の中にあり、放置されたままの状態のようでまったく人影もなく恐る恐るの見学となりました。

   

上の2枚の写真は周囲から撮影した塔です。右上の写真を見ると外壁が何層にもわたって築かれていて昔はとても頑強な砦だったことが想像できます。

古城の敷地の中に立ち入るとまだかなり良い状態で残っている建物も色々とありました。上の写真の塔への階段を登って行くと建物の内部に入ることができました。歩いていてどこが壊れるかわからないような状況でしたので一歩一歩十分に気を付けて進みました。

見学した古城のテラスから少し先の方にもう一つ小さな古城(砦)が建っていることに気が付きました(上の写真)。ドイツにはこのように多くの中世の遺跡が自然に任せた状態でそこら中に残っていてだれでもいつでも気軽に見に行けるということに驚きを覚えました。

山の中に隠れて崩れ行くのを放置された城跡でしたが、昔多くの兵がここに住み込んで敵から領地を守っていたことを想像するととても感慨深い気持ちになりました。まさに「つわものどもが夢の跡」の心境でした。

非常に印象深い中世の面影を残すハイデルベルク、特に赤レンガ造りの素晴らしい感慨深い古城を後にして次はフュッセンへ向かいました。

上の写真はバスの前方の窓から撮影したロマンティック街道の様子です。遠くに見える雪山も風景に彩を添えています。

上の写真は街道の途中で見つけた夕霧に浮かぶ小さな村の幻想的で素敵な風景です。少し分かりにくいですが写真の右上辺りには満月の月もうっすらと見えています。可愛い白壁の教会を中心にして村が形作られていることが良く分かります。

下の写真はフュッセンにかなり近づいたころバスの窓から撮影した南バイエルン地方ののどかな牧場の景色です。写真の右真ん中付近に遠くで草を食んでいる牛の一群が見えています。

フュッセン

フュッセンはオーストリアと国境を接するドイツ南部のバイエルン州の最南西部に位置しています。ドイツで最も有名な観光街道「ロマンティック街道」の終点の町でもあります。

ノイシュヴァンシュタイン城のふもとの村ホーエンシュヴァンガウに近いことから、ノイシュヴァンシュタイン城観光への玄関口としても有名です。

中世の雰囲気が残る美しい街ですが多くの観光客はあまりにも有名なノイシュヴァンシュタイン城に早く行くためにほとんど素通りすることが多いとのことです。

私たちも昼食でちょっとレストランに立ち寄った程度ですぐにノイシュヴァンシュタイン城へ向けて出発しました。

   

左上の写真はフュッセンの街角の風景です。まるでスイスやオーストリアのような開放的でとても気持ちが良い風光明媚な場所でした。写真左側の家の窓に飾られた花々がとても美しく咲き誇っていたのが印象的です。

右上の写真はバスの窓から撮影したフュッセン郊外ののどかな風景です。真ん中に白い可愛い教会があり、手前のところで牛がゆったりと牧草を食んでいるとても素敵な光景です。

ノイシュヴァンシュタイン城

ロマンティック街道の最後を飾り観光の一番の目玉であるノイシュヴァンシュタイン城は日本人にも大人気のお城です。ドイツ観光のパンフレットの表紙を飾ることもよくあります。

上の写真は近くの展望橋の上から撮影したノイシュヴァンシュタイン城の美しい姿です。お城の背景に広がる南バイエルンののどかな牧草地帯や村が素晴らしい景観を提供しています。

この城は1869年、第4代バイエルン王ルードヴィヒ2世の命により築城されました。ルードヴィヒ2世は芸術を深く愛しており、中世の騎士の姿や考え方、ファンタジーな伝説に対して強い憧れを抱いていたようです。そこで自分の描く理想的な世界を具現化するために建てたのがこのお城だということです。

このお城は白鳥城とも呼ばれ、その名のとおり華麗で美しい佇まいをもっていて、ディズニーのシンデレラ城や眠れる森の美女の城のモデルにもなったとも言われています。

ワーグナーの音楽に心酔していたルードヴィヒ2世は、そのオペラを上演するためだけに「歌人の間」を造りました。また妄想の世界に耽るための場所として人工の洞窟まで造らせました。お城の中を見学すればこれらの奇抜な部屋の数々を見ることができます。

   

上の2枚の写真はお城を側面から見て撮影した写真です。

    

左上の写真はノイシュヴァンシュタイン城の入口付近の階段の様子です。

上の真ん中の写真は近くの深い谷の間にかかる吊り橋でマリエン橋です。ここは吊り橋なので歩いて渡っていると揺れて少し怖いですが、橋の中ほどから断崖に悠然とそびえ立つ城の姿を周りの風景、背景とともに一枚の絵画のように眺望することができる絶景スポットになっています。上のノイシュヴァンシュタイン城の最初の写真はこの吊り橋の上から撮影したものです。

右上の写真はすぐ近くにある湖の風景を撮影したものです。写真には白鳥が一羽写っていますが、ノイシュヴァンシュタイン城の名前の由来の「白鳥」はこの湖で生活していた白鳥からヒントを得たのでしょうか。

上の写真はノイシュヴァンシュタイン城の窓から撮影した南バイエルンの牧草地帯のとても開放的な風景です。

ノイシュヴァンシュタイン城は世界遺産?

ところでこれほど世界的に有名で大人気のノイシュヴァンシュタイン城ですが実は現時点ではまだ世界遺産には登録されていません。これは意外な事実です。

その主な理由は建設されたのが1869年で中世ではなく近世~近代であり比較的新しい時代ものだということとやはり比較的新しい建築技法を使ったということだと思います。

基礎部分はコンクリートなどで固められ、城館の壁の主要構成要素は煉瓦と石灰石板ですが、一部鉄骨・鉄柱も補強で使われているというような建築技法をとったと言われています。

他の世界遺産に登録されているような古城と比べて、根本的に文化的・学問的・芸術的価値が少し劣っているという判断なのでしょうか。

またお城の特徴としてなにか重要な歴史的出来事に関係したということも聞かれませんし、むしろルードヴィヒ2世の個人的な趣向があまりにも大きく影響しているようにも思えます。

しかしディズニーのシンデレラ城や眠れる森の美女の城のモデルになったり、現在世界でもお城の人気ランキング上位を長年保つほど世界中の人々に人気があるということは、人々に文化・芸術的影響やインスピレーションを与え続けていると考えることができますので世界遺産に相当するような価値はあるのではないかと思われます。

私も最初にマリエン橋の上からノイシュヴァンシュタイン城を見た時はあまりにも理想的なお城の姿に感激しました。周りの深い森に囲まれた小高い位置に建設され、背景にバイエルンの牧歌的な悠々たる風景を有し、白く美しく輝くお城の理想的な姿・構図にただただ感心したことを覚えています。

リンダーホーフ城

リンダーホーフ城は、ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち唯一完成したお城で、バイエルン州の山並みで囲まれた様々な花や緑が溢れる広大な庭園の中に建っています。

この城館は、フランスのルイ14世を崇拝していたルードヴィヒ2世によって、ヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿を手本にして建てられたといわれています。そのため建物内部はバイエルン王国の栄光を讃える絢爛豪華な装飾が施されています。

   

左上の写真は白い城館とその前にある噴水池の風景です。噴水池には中央に金色に輝く女神フローラと天使の像が置かれています。写真ではちょうど像の間から約30メートルの高さまで水を噴き上げている場面がとらえられています。

右上の写真はある部屋の中にあった周りの装飾が豪華すぎる鏡の写真です。

フュッセンでバイエルン王ルードヴィヒ2世が建設した2つのお城を観光した後、今回のドイツ観光の最後の訪問都市であるミュンヘンへ向かいました。

ミュンヘン

ミュンヘンはバイエルン州の州都でドイツ南部を代表する大都市です。ドイツでは3番目に大きな都市になります。経済・産業が発展しており世界的企業のシーメンスやBMWなどが本社を構えています。また何世紀も前の建築物、美術館や博物館が多いことから、芸術・文化都市としても有名で、さらにビールの名醸地としても世界的に良く知られています。

市内観光ではまずミュンヘン観光の中心地であるマリエン広場へ行きました。広場に面して建っているのが1867~1909年に建設されたミュンヘン新市庁舎でネオゴシック様式だということです。

見どころは庁舎の鐘楼の中に造られている仕掛け時計で、決まった時間が来ると32体の人形が繰り広げる歴史劇を見ることができます(上の写真)。約10分間も動くのでかなり見応えがあります。私たちが見学した時も多くの観光客が広場に集まってきて仕掛け時計を見上げていました。

   

左上の写真はミュンヘンの街並みの風景です。大都会だけあってかかなり建物が立て込んでいます。

右上の写真は世界6大美術館の1つであるアルテ・ピナコテークです。独特の落ち着いた雰囲気の建物になっています。

アルテ・ピナコテークはバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家が集めた名画を市民も鑑賞できるようにと1836年に建てられました。14世紀から18世紀の中世からバロック期にかけて描かれた絵画が数多く展示されています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント、デューラーなどの絵画を鑑賞することができ、所有する作品はキリスト教関連の宗教画が多いようです。

   

左上の絵はルーベンスの「猛獣退治」で右上の絵はミレーの「道端のヨハネ」です。ルーベンスの絵は躍動する力強い作品です。

     

左上の絵はラファエロの「カニジアーニの聖家族」です。右上の絵はルーベンスの「最後の審判」です。ラファエロの作品の中ではイタリア・フィレンツェのウフィッツィ美術館にある「ヒワの聖母」が最も好きな作品ですがこちらの「カニジアーニの聖家族」も素晴らしい作品だと思います。

ミュンヘンの街中を散策中に道端でクラシックなパトカーを見つけました(下の写真)。多分かなり古いモデルのフォルクスワーゲンの「ビートル」だと思われます。

別の時期に団体ツアーでドイツのミュンヘンを訪れた時には、ツアーグループの皆と一緒に有名なビアホールであるホフブロイハウスへ行きました。ここは創業1589年の老舗の国立ホフブロイハウス醸造会社が直営する巨大ビアホールで収容人数は何と1300人といわれています。

多くの人でごった返していてとても賑やかなビアホールで特産のビールと有名なソーセージ料理をお腹いっぱい美味しくいただきました。

今回のドイツ観光はミュンヘン観光ですべての旅程を終了し、ミュンヘン空港から日本へ帰国しました。

ドイツの古城

今回のドイツへの観光旅行で最も印象に残ったのはドイツには素晴らしい古城がたくさん残っているということです。

多くの地方の領主が栄えた中世の時代を中心に当時は全国に約2万ものお城があったそうで、なんと現在でもそのうちの約600が残っているとのことです。

日本も群雄割拠の戦国時代を中心に約2.5万のお城が築かれたそうですが、現存しているのは約200だそうです。

ヨーロッパにはドイツ以外にも各国には素晴らしい古城があります。公益財団法人 日本城郭教会は「日本100名城」が平成18年に選定されたのに続き、平成22年に「ヨーロッパ100名城」を選定しています。

「ヨーロッパ100名城」ではイタリアとフランスでそれぞれ11カ所、ドイツとイギリスでそれぞれ10カ所、スペインで8カ所などが選定されています。

私の個人的な好みではドイツのお城以外ではスコットランドのエジンバラ城やデンマークのクローンボー城などが特に好きです。将来、ドイツの名城を中心にヨーロッパの名城巡りを是非計画してみたいと考えています。

終わりに

今回のドイツ観光旅行は予想通り圧巻の内容で、荘厳な大聖堂、いくつもの中世の趣のある街並み、ライン川下り、色々な古城、美術館、グルメなど見所が豊富でとても楽しめました。

私個人はドイツには昔からある程度親近感を覚えていました。理由は、ドイツはもともとまじめで勤勉な国民性が日本と似通っていること、明治維新以降に日本はドイツを最も手本にして学問や制度など多くを学んで取り入れたこと、個人的には学生時代に第二外国語としてドイツ語を専攻したことなどです。

このようなドイツに対する親近感は、ドイツを初めて観光旅行するときにもある種の安心感を大いに与えてくれました。街中の色々な標識や看板などを見て昔学んだドイツ語を思い出したりして観光旅行が一層楽しいものになったと考えています。

最近ドイツは脱炭素化推進で先進国のリーダーといわれています。脱炭素社会の実現のために水素技術の活用や再生可能エネルギーの拡充に国を挙げて中長期的に取り組んでいるとのことです。

特に素晴らしいのはドイツの脱原発政策が最終段階を迎えていることです。現在残り6基となった原子力発電所を2022年末までにすべて停止し、再生可能エネルギーを中心とした電力供給へと切り替えるとのことです。

古いものも大切に残しながら、最先端のエネルギー社会変革へ向けて精力的に取り組んでいるドイツは今後も注目に値する国だと思います。

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