マレーシアに観光旅行(2)

はじめに

この記事ではマレーシア観光旅行の3日目のペナン島ジョージタウン観光、4日目のクアラカンサー観光、イポー駅からのマレー鉄道乗車の様子をご紹介します。

3日目

ジョージタウン

旅程3日目はペナン島ジョージタウンの観光スポットを巡ります。

イギリス人の探検家フランシス・ライトが1786年にペナン島に上陸し、その後ペナン島はマラッカやシンガポールとともにイギリスの海峡植民地として発展してきました。特にイギリスの東インド会社がペナン島に最初の拠点を置いたこともあり重要性を増したそうです。

入植地となった北西部のジョージタウンには、コロニアル様式(植民地様式)、ポルトガルやオランダ時代の建築様式の建物が今も残り、また言語や技術、料理などアジアの多文化とヨーロッパの植民地時代の影響が見られることから2008年に「マラッカ海峡の歴史的都市群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

寝釈迦仏寺院とビルマ寺院

まず最初に訪れたのは寝釈迦仏寺院です。ペナンを代表するタイ式の仏教寺院だそうで、とても豪華で色鮮やかです。

この寝釈迦仏(下の写真)は全長33mもあり、世界で3番目に大きい寝釈迦仏だそうです。最初に見たときにはそのサイズにちょっとびっくりしました。

寝釈迦仏寺院のすぐ隣り合わせにビルマ寺院(下の7枚の写真)があります。

1803年に建造された最も古いビルマ寺院で、マレーシアで唯一のミャンマー(旧ビルマ)の寺院です。こちらの寺院も金箔を施した派手な装飾が特徴的で、面白いオブジェがたくさん配置されていました。なおこの地域には昔ビルマ人の集落があったそうです。

左下の写真は本仏堂に祀られている高さ10mの巨大な釈迦像です。右下の写真で分かるように天井の木彫り彫刻が見事です。

廊下のような場所には日本を含むアジアの釈迦仏像が並んで配置されていました(下の写真)。体つき、顔の表情、手のポーズなどがそれぞれ異なっていて見比べると面白いです。

右下の写真では架空の動物が地球を支えているようです。

やさしいお顔のお釈迦様(左下の写真)とお庭の見事なブーゲンビリア(右下の写真)です。

タウンホールとシティホール

下の写真はコタ・ラマ公園の横にあるタウンホール(左側)とシティホール(右側)です。

クリーム色の壁と赤い屋根のタウンホールは1880年に開設されたジョージタウン初の役所として建てられました。行政を執り行っていましたが、欧米人上流階級の社交場(ヨーロピアンクラブ)としても使われていたそうです。

シティーホールは、荘厳な白亜の建物でペナンのシンボル的存在となっています。1903年に建てられたもので最初はイギリス東インド会社の拠点として使われていて、その後ペナンの市役所として使われるようになったとのことです。

シティホールの左横にはすぐ海岸が迫っています。お散歩には良い場所かもしれません。

下の写真はジョージタウンの北東部にあるコーンウォリス要塞跡です。1786年に東インド会社のフランシス・ライトが上陸した地点に築いた星形要塞だそうです。現在も敷地内では発掘が続いているようで中には入れませんでしたが整備して中を見学できるようにすれば良い観光スポットになると思われます。

下の写真は1902年に建造した時計塔「ビクトリア・メモリアル時計塔」でコーンウォリス要塞の南東部にあります。当時大英帝国はそれぞれの植民地にこのような特徴的な時計塔を設置したとのことです。

セント・ジョージ教会(下の写真)は1819年5月に竣工した東南アジアにおける最古の英国国教会で鋭い尖塔が目を引く白亜の教会です。

セント・ジョージ教会のお庭にあったプルメリアです。この花はハワイでも有名です。

下の4枚の写真は旧市街の様子です。こちらも思った以上に人通りが少なめでした。

 

旧市街を散策していると所々に壁絵(ウォールアート)が現れます。

左下のウォールアートは禁煙を呼び掛けているそうです。また右下のウォールアートはこのようなアートが始まった最初のものだそうです。この発祥の地だけはたくさんの観光客が集まっていて右下のような写真撮影の順番待ちをしていました。

散策の途中でお昼になり昼食をとりました。この日の昼食は飲茶でした(下の写真)。

観音寺(下の写真)はペナンでもっとも古い中国寺院で、観音菩薩が祀られています。本堂前では信者が献じた巨大な線香が燃え続けているそうです。

 

スリ・マハ・マリアマン寺院(下の写真)はカラフルなゴプラム(門塔)に38体もの神々が彫刻されているヒンズー寺院で、1883年に建造されました。内部に祀られている軍神スブラマニアムの像は、金、ダイヤモンド、エメラルドなどの豪華な装飾品で飾られています。

下の写真はカピタン・クリン・モスクでブロンズ色のドームが特徴的なモスクです。インド系イスラム教徒によってインドのムガール建築様式で1801年に建立されたそうです。

散策の途中で見かけた木造の古い家です(下の写真)。屋根などが壊れかけていますがまだ使っているようでした。

ジョージタウンを散策した後一度ホテルへ戻り少し休憩して夕方にまた夕食を食べに出かけました。

夕食後にはペナン島でも有数の大型ショッピングセンターや屋台村「ガーニードライブ」の散策を楽しみました。

左下の写真はショッピングセンターの入り口付近の様子で、右下の写真は有名なガーニードライブの様子です。ガーニードライブはローカルグルメを求める多くの観光客でにぎわっていました。このような活気ある屋台村はやはり東南アジアの風物詩として欠かせない光景だと思います。

右下の写真はイスラム系の人が経営する屋台群のようです。訪れたときはちょうどイスラム教のラマダンの時期でしたのでこれらの屋台は完全に閉まっていました。

これで3日目の観光を終了してペナンのホテルへと戻りました。

4日目

旅程4日目は、まずクアラカンサーの観光後イポーへ移動しそこからマレー鉄道に乗ってクアラルンプールまで行って市内観光をします。

クアラカンサー

クアラカンサーはペラ州の王族が住む王都です。下の写真は現在の王と王妃です。

左下の写真はマレーシアで一番美しいと言われているウブディアモスクです。確かに黄金と白色の建物が太陽の下に輝く姿は大変美しいです。ここは内部の見学もできるそうですが、残念ながら私たちのツアーでは内部の見学はありませんでした。

右下は王族の敷地内にある昔の木造の建物で多分王族の取り巻きの人々が住んでいたと思われます。構造上とても面白い造りをしています。

王族の現在の住まいの豪華な門構え(下の写真)です。白と黒、少しだけ黄金色のデザインはとても清潔感があり素敵だと思いました。

 

残念ながら門はしっかりと閉められていて中には入ることはできませんでした。下の写真は門の隙間から中のお庭を撮影したものです。植木や芝生などとてもきれいに整えられているのが分かります。せめてお庭の一部くらいは開放して見せていただけたら良いのにと思いました。

王宮博物館(下の写真)は、当時王宮を建て替え中だったために1926年に建設された建物で、ペラ州の王族たちの2~3年間の仮住まいの場所として使われたそうです。

1本の釘も使わず全て木材により建てられた美しい伝統的なマレー建築様式で現在は博物館として開放され、室内には王族たちのコレクションや歴代王族たちの写真が展示されているそうです。

左下の写真は涼しそうな1階の吹き抜け部分です。お庭にはなぜか昔の大砲が飾られていました(右下の写真)。口径がかなり小さめなので陸の砦に設置されていたというよりは、海軍の艦船に乗せて使っていた大砲だと思われます。

ロイヤルファミリーの街クアラカンサーの見学を終えた後、マレー鉄道に体験乗車するために再び観光バスでイポーへと向かいました。途中の休憩ではトロピカルフルーツを中心に販売するお店が立ち並ぶ休憩所(下の写真)へ立ち寄りました。みなそれぞれに好きなフルーツを購入して早速口に入れていました。

下の写真は移動途中でバスの車窓から撮影した川の風景です。多分この川はペラク川だと思われます。川べりの美しい風景が広がっていました。

イポー駅

昼食後さらに移動しイポー駅へ到着しました(下の写真)。この駅は地元の人からは「イポーのタージマハール」とも呼ばれているそうで、美しくて堂々とした白亜のコロニアル建築様式の駅舎が特徴的です。現在でもイポーの旧市街の中心的存在だそうです。

イポーは昔錫の生産地として大いに栄えていました。1917年にはこの鉄道駅と同時にホテル「マジェスティック・ステーション・ホテル・イポー」(現在は閉鎖中)も開業していたとのことです。

正面から駅に近づくと下の写真のようなきれいに整備された花壇が見えてきます。花壇といっても花はほとんど咲いていなくて緑の葉が綺麗に輝いていました。

クアラルンプール行きの列車を待つ間にこのイポー駅の正面広場を散策していたら、第二次世界大戦に関する記念碑(Thailand-Burma DEATH RAILWAY)を見つけました(左の写真 by dreamstime)。

この記念碑は「泰緬(たいめん)鉄道」または「死の鉄道」と言われている鉄道工事に関するものです。

第二次世界大戦中、日本軍はビルマ戦線への物資輸送で、マラッカ海峡を通る海上輸送以外にルートがなく、またミッドウェー海戦の影響でこの海上輸送が危険になってきたために大急ぎでタイからビルマ(ミャンマー)への415kmの軍用鉄道を敷くことになりました。

当時日本軍のほかに6万人以上の連合軍捕虜、20万人以上の労働者(主にマレーシア人、ミャンマー人、タイ人)が建設に携わりましたが、悪性のマラリアとコレラが蔓延するジャングルでの強制労働、劣悪な衛生および栄養環境のために1.2万人以上の連合国捕虜、7.5~10万人の労働者が死亡したそうです。この記念碑にはこのような犠牲者のことが書かれています。

また、完成を早めるためにマレー鉄道の一部の線路を外して泰緬鉄道の場所へ運んで行って使ったということもあったようです。

ところで戦後この鉄道はすべて廃止されたわけではなくタイの一部では現在でも使用されているそうです。

1957年に製作された戦争映画の名作のひとつに「戦場にかける橋」があります。この映画はこの泰緬鉄道の史実をもとにして作成されたものです。イギリス軍捕虜と日本軍との間の関係のストーリーが主になっていますが、泰緬鉄道に関心がある方はこの映画を鑑賞することをお勧めします。

ガイドさんにこの記念碑のことを話したところ、日本人のツアーでは敢えて触れないことにしているそうです。日本の過去の負の遺産ということで気を使ってくれているようです。

イポー駅からマレー鉄道に乗って約2時間半をかけてクアラルンプールへ行きました。左下の写真は私たちが乗車した車両です。ピンクの色が映えます。右下の写真は到着した駅の様子です。

列車に乗っているときにスコールがありましたが到着前には雨は止んでいました。これからクアラルンプールの市内観光へ出かけます。

この旅行記は「マレーシアに観光旅行(3)」へ続きます。

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