海外旅行回想録(7) ー ポルトガル

はじめに

この記事のシリーズでは三十数年前に行った海外旅行を中心に特に思い出に残っている観光の回想録をご紹介しています。

この記事ではポルトガル旅行の体験をご紹介したいと思います。

7.ポルトガル

三十年ほど前に年末年始の休みを利用して10名程度の団体ツアーに参加してポルトガルを訪れました。

ポルトガルと言えば学校の歴史で学習した長崎の出島が真っ先に頭に思い浮かびます。長崎の出島は江戸幕府がポルトガルなどとの貿易をつかさどるために建設した人工島で1636年から数年間は主としてポルトガル貿易で使われたそうです。

また日本語になったポルトガル語がたくさんあることも教わりました。「カステラ」、「キャラメル」、「タバコ」、「シャボン」、「合羽(カッパ)」、「コロッケ」、「パン」、「ボタン」などです。今でも長崎銘菓と言えば「カステラ」といわれるほどです。

ポルトガルは日本の北海道と四国を合わせたほどの小さな面積の国で、15世紀の大航海時代には人口が110万人程度だったといわれていますが、国を挙げて海外進出に乗り出し国は大いに栄えたということです。

近年はポルトガルの話題はあまり日本では報道されてこなかったので、あの昔の大海洋国家が現在どのようになっているのかということが今回の観光旅行で訪れるときの最大関心事でした。

「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」

ポルトガル観光でまず最初に訪れたのが、15世紀の大航海時代を築き上げた偉業を象徴する「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」です。リスボンのベレン地区の海岸沿いにあります。

「発見のモニュメント」はエンリケ航海王子の死後500年を記念して1960年に建てられました。

高さ52mの船の上からテージョ川を見つめる銅像は、先頭にエンリケ航海王子、左手に探検家や宣教師たち、右手に芸術家たちが並んでいます。有名なヴァスコ・ダ・ガマやフェルディナンド・マゼランの像もあります。

上の写真は船の右側に並ぶ像です。

上の写真は船の左側に並ぶ像です。この写真は少しカメラを傾けて撮影しました。

このモニュメントに近づいて見るとかなり大きいので少し圧倒されます。船の左下に設置してある地球儀も大航海時代の雰囲気を盛り上げていました。

広場の床にはモザイクの世界地図がありました。もちろん皆でまず日本を探しました。

下の写真は「発見のモニュメント」の近くにある「ベレンの塔」です。

ベレンの塔は1520年にテージョ川の河口を守る要塞として建てられた監視塔で世界遺産になっています。まるで大きなお城の一つの豪華な塔のようです。白くて美しい外観から「テージョ川の貴婦人」といわれているようです。観光で訪れた時は手入れが行き届いていなかったのか残念ながら全体が少し黒ずんでいました。

ロカ岬

次にヨーロッパ大陸の最西端であるロカ岬へ行きました。

ここはヨーロッパ最西端であることを示す記念碑や灯台があるだけで特に風光明媚というわけでもなくごく普通の岩だらけの海岸でした。それでも多くの観光客で賑わっていました。

   

大西洋方面の様子(左上)と左側の海岸線の様子(右上)

ロカ岬は実際の景色を楽しむのではなく、大航海時代にポルトガルの多くの探検家が大望をいだいてここから世界の果てを目指し船出していったのだと思いをはせる場所となっていました。

実際そこにいた多くの観光客はロカ岬の端に佇んで大西洋のかなたを感慨深げにしばらく見つめていました。

15世紀に始まる大航海時代にはポルトガルは「7つの海を制した」と言われるほど繁栄を極めました。エンリケ航海王子の指揮で、まず1415年のアフリカ北部のモロッコの商業都市セウタ攻略を皮切りに、アフリカ西海岸を南下しながら探検航海していき1488年にはついにアフリカ大陸最南西端の喜望峰へ到達しました。

その後1498年にはヴァスコ・ダ・ガマによってインドのゴアに貿易拠点を築き、1500年にはブラジルを発見するなど大航海時代の先駆者となりました。

さらにマレー半島のマラッカや中国のマカオにも勢力を伸ばし、香料貿易を独占して巨万の富を得て16世紀前半のリスボンは世界最大規模の都市にまで発展し大いに繁栄しました。

1541年には日本に最初に訪れその後日本とも貿易を始めました。日本からは主に銀が輸出されたそうです。1534年には鹿児島の種子島にポルトガル商人が漂着し鉄砲伝来となったことは学校で学んだとおりです。

そもそも当時ポルトガルが国を挙げて大西洋経由で世界に進出していったのは、地理的にヨーロッパの最西端にあり、地中海貿易をはじめ、北海・バルト海貿易の恩恵を受けることができなかったからだと言われています。例えば当時東地中海貿易はヴェネチアが東側のイスラム諸国との貿易をほぼ独占していました。

その他リスボン市内観光など

さてリスボン市内観光ですが、途中で見た街角の風景の写真を下に何枚か掲載しておきます。

   

左上の写真はコメルシオ広場です。コメルシオ広場は昔は貿易関係の建物がたくさん建てられていたそうです。

   

次の2枚の写真は街角で少し気になった風景を撮影したものです。

   

左上の写真は素朴で落ち着いた素敵な感じの裏通りの様子です。他の街角の写真でもそうですがほとんど人通りがありません。また右上の写真は何故か人家の屋根に白色の孔雀が止まっていました。当時人家で孔雀を飼っていたのでしょうか。

リスボン市内での夕食

今回のツアーは年末年始の時期でしたので、12月31日の大晦日はリスボン市内で過ごすことになりました。ツアーでは31日の夕食は団体を離れて自由行動となりました。私たちはリスボンは海沿いの街なのでシーフードが美味しいだろうと思い老舗のシーフード・レストランへ行って大晦日の夕食を楽しむことにしました。

そこのレストランではカニとエビの料理が特にお勧めのようでしたが、迷った挙句カニ料理を注文しました。

メインディッシュでは茹でたカニが大皿に山盛りになって出てきました。幾種類かのソースとカニの殻を捨てるバケツのようなものも準備されました。カニは自分で素手で掴んで割って食べるようになっていて少しワイルドですが楽しい食べ方でした。最近ハワイのワイキキで多くの日本人に大人気の有名なレストランであるクラッキン・キッチンと似たような食べ方です。

私たちのすぐお隣のテーブルではお子様連れのポルトガル人の家族も夕食を楽しんでいました。彼らはエビ料理でした。エビも大皿に山盛りに盛られてテーブルに出されていました。

食事中その家族のご主人が時々こちらのテーブルに目をやっているのに気が付きました。するとそのご主人が突然立ち上がり、自分たちの大皿から一つまみのエビを取ってこちらのテーブルへ寄ってきました。

「カニをお召し上がりのようですが、エビもとてもおいしいですよ。どうぞ試食してみてください。」(英語)と言って私たちのテーブルの上にその一つかみのエビを置いていきました。

あまりにも突然のことで、また日本などでは全く考えられないような出来事だったので少し面喰いましたが、ポルトガルの人たちはかように人懐こく親切だということでした。

いただいたエビもとても美味でした。その後その人たちとしばらく日本やポルトガルについて軽い会話を楽しみました。

思いがけずポルトガルの人達と軽い交流ができて、とても興味ある楽しい大晦日の夕食の時間を過ごすことができました。

ところで大晦日の夜でしたので新年を迎える夜中にはリスボン市内でなにかカウントダウン花火やイベントなどがあるのかなと思いましたが、ホテルの窓を開けて外の様子をうかがっても音や光など何も気配はありませんでした。その日の夜はホテルの部屋で静かに新年を迎えました。

リスボンの街並み

観光旅行中にリスボン市内が見渡せる展望台のような高台にも行きました。次にそこから撮影した写真を3枚掲載しておきます。

   

左上の写真は海の方に向かって見た街並みの様子です。右上は山側方面の風景です。白壁に赤い屋根のお洒落な建物が立ち並んでいて大航海時代の繁栄の面影が残る風景です。

今回の観光旅行で最も気になった(軽いショックを覚えた)風景は次の街並みの写真の風景です。

上の写真で見て分かるようにかなり広い範囲で建物がくすんだようになってしまっています。ポルトガルは観光も主要産業の一つだと思いますが首都のリスボンでこのような光景を目にするとは思いもよりませんでした。

15世紀にはじまる大航海時代以降ポルトガルは世界に数々の植民地を築いていき貿易により国家の繁栄を謳歌していましたが、1975年頃よりアフリカなど多くの植民地が独立していってポルトガルは次第にその国家経済の重要な基盤を失っていきました。それ以降長い間低経済成長に悩まされることになったようです。

観光で訪れた当時は目玉となるような大きな主要産業がまだ育っていなかったようで、コルク、オリーブオイル、ワインの生産や海産物、機械や繊維関係、そして観光業などで支えられていたようです。国も個人もこのような街並みを綺麗に再生するような十分な余裕がなかったのだと思われます。

1986年にはEC(現在はEU)に加盟したものの2007年のギリシャ財政危機を発端にポルトガルもユーロ圏で財政状況がとりわけ厳しいPIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の一つと見做されていました。

しかしポルトガルは近年PIIGSの中でもとりわけ財政改善、経済成長に成功し、外資の導入、外国人の移住、観光業や各種産業の発展などに尽力しているようで、リスボン市内も30年前に見たものとは全く違った魅力的な街並みになってきているようです。

最後に

ポルトガルと言えば、長崎の出島での貿易、種子島への鉄砲伝来、日本語になったポルトガル語など以外にキリスト教のポルトガル宣教師もすぐに頭に浮かんできます。フランシスコ・ザビエルが1549年に初めて日本にキリスト教を広めましたがその後日本の政府の弾圧により隠れキリシタンの話につながっていくことは皆さんもよくご存じだと思います。

このように日本とは昔関係が深かったポルトガルの歴史的背景を考えると、今回の初めてのポルトガル観光旅行はとても感慨深いものとなりました。

私たちが観光で訪れた約30年前はまだ低経済成長が続いていました。しかし大晦日の夕食の時にレストランでちょっとだけ触れ合えた現地のポルトガルの人達は気さくで、良く気が回り、明るく陽気で親切だということが良くわかりました。

現在では経済成長も順調なようで、特にリスボンは海外の富裕層が住んでみたい素敵な街として急に人気が高まっているとのことです。

機会があれば発展し、賑わいを取り戻したリスボンを再び訪れてみたいと思っています。

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