各国皆さんのホスピタリティに感激!

ホスピタリティは国によってかなり差がある?

みなさん、ホスピタリティという言葉はご存知だと思いますが、商売上の接客時のおもてなし、気配りだけでなく、一般的な意味での人と人の間のおもてなし、思いやり、親切さなども意味しています。

日本でも最近特に東京オリンピック・パラリンピック開催に大きく影響されて世間に広まってきた考え方だと思います。

私の実際の体験から見て、面白いことにお国によってそれぞれホスピタリティの意識・程度が大分違っているようです。

まず今までに私自身が遭遇し、感動したホスピタリティ体験をいくつかご紹介します。

ニュージーランドでの体験(その1)

まずはかなり前になりますが観光でニュージーランドを訪れたときの感激体験をご紹介します。

北島にあるタラウェラ山を訪れたときのことです。赤い岩や石、砂ばかりの火山の麓をトレッキングするワイルドなツアーに参加しました。トレッキング入り口から少し入ったところで向こうから帰ってくるトレッキングのグループに遭遇しました。

するとその中の地元の人だと思われる一人の男性が私たちのグループに向かって言いました。「新しい下着の替えをもっているから差し上げますよ。汗で下着が濡れているなら着替えるといいですよ。いかがですか?」

思いもかけない思いやりの申し出にとても驚くとともにいたく感激しました。このようなレベルの高い親切はいままで経験したことがありませんでした。そのときは皆大丈夫でしたので結局そのありがたい申し出は丁寧にお断りしました。

ニュージーランドでの体験(その2)

やはり20~30年ほど前のことですが、ニュージーランド観光に来たときにダウンタウンから少し外れた静かな場所にあるレストランで夕食をいただきました。

レストラン名はもう忘れてしまいましたが、お店の真ん中に大きな自然の木が生えていて幹が屋根を突き抜けているというような自然派志向のとてもお洒落なレストランでした。

おいしい料理にワインで夫婦でゆったりとディナーを楽しんでいたところ、店の奥から一人の女性が現れてテーブルに近づいてきました。聞けばその店の女性オーナーということでした。同じテーブルに腰掛けて皆で30分~40分ほど会話を楽しみました。

会話の話題はニュージーランド人とオーストラリア人の国民性の違いや、日本のこと、ニュージーランド・ワインのことなど多岐に渡り、おかげで座がとても盛り上がり、思いがけずとても楽しく忘れられないディナーとなりました。

私たちは特別な客でもないし、特別に高価な料理やワインを注文したわけでもないのに、お客様をもてなそうとするその女性オーナーのホスピタリティに感激しました。

ニュージーランドでの体験(その3)

数年ほど前に家族でニュージーランドへ観光に行きました。1週間ほどの旅程でしたが、最後の夜にオークランド空港へ飛行機で移動し、明日早朝の日本への帰国に備えて近くのホテルに移動するときのことでした。

オークランド空港のタクシー乗り場に行き、並んでいる先頭のタクシーに乗ろうとドライバーに声をかけました。そのドライバーが「どこまで行きますか?」と聞いてきたので、「○○○ホテルまでお願いします。」と答えました。

すると突然そのタクシードライバーは車を降りてきて、「そのホテルはこの空港まで送迎リムジンを出しているのでそれに乗るといいですよ。」と言うなり、何とわざわざ自分の携帯電話を取り出してそのホテルに電話をかけてリムジンを呼び出してくれました。

とても驚いたのは、そのドライバーが商売の機会を自ら放棄し、さらに電話代がかかるであろう自分の携帯電話を使ってまで、お客様を思って行動してくれたことです。

これぞまさに「お客様ファースト」です。そのホスピタリティはまさに信じがたいほどで、いたく感動しました。

カナダでの体験

次は一人でカナダに観光旅行に行ったときの出来事です。

ある日アメリカから飛行機に乗ってカナダのとある空港に着きました。空港出口側ロビーでこれから観光する場所とアクセスの手段を調べるために観光ガイドを広げて見ていたときのことです。

突然後ろからカナダ人らしき男性が声をかけてきました。「何かお困まりですか?お手伝いいたしましょうか?」私は観光ガイドを見れば簡単に分かることでしたので「大丈夫です。ありがとうございます。」と言って軽くお辞儀をし、再び観光ガイドに目をやりました。

するとまたすぐに別の初老のご夫婦が声をかけてきました。「何かお困まりですか?お手伝いいたしましょうか?」私が顔を上げてそのご夫婦の方を見ると、何とその後ろにまたまた別の人が待機していて、私に声をかける順番を待っていました。

なんということでしょうか。赤の他人を助けたい人たちがまさか並んで待っているとは!人々のホスピタリティ意識の高さに感服です。

わたしはその出来事を経験して以来、海外では空港、電車やバスの駅、人が集まる広場などでは決して観光ガイドを大きく広げて見るのはやめることにしました。

ルクセンブルクでの体験

かなり前ですがルクセンブルクに観光で行きました。

ルクセンブルクは皆さんご存知のように、フランス、ベルギー、ドイツに囲まれた西ヨーロッパの小さな国です。神奈川県程度の広さの国土に、人口は50万人弱だそうです。

市内観光の途中でランチを取ることになり、近くのハンバーガーショップへ行きました。マクドナルドやバーガーキングのようなチェーン店のようでした。

例によってカウンターには若い女性が立っていてお客様の注文を取り、出来上がったバーガーなどを渡していました。

順番が回ってきたので私はバーガーをひとつ注文しました。そのバーガーが出来上がってくるまで私は50秒~1分秒ほどそのカウンターで待たされたと思います。

出来上がるのを待っている間に、そのカウンターの女性は20秒ほど経ったときにまず「すぐにできますので、少しお待ちください。」と声を掛けてきました。

それからさらに20秒ほど経過した時に再び「すみませんが、もう少しお待ちください。」とやさしく微笑みながら声をかけてきました。

このわずか50秒~1分くらいの短い間に、待っているお客様を気遣って2回も声を掛けてくれたことは私にとっては新鮮な驚きでした。別に奥の調理場でトラブルなどがあって仕上がりが遅れたというようなわけではありません。

私がこのようなカウンターの店員の対応になぜ驚いたかと言いますと、例えばアメリカではバーガーショップのカウンターの女性は、お客様に、応対の最初から終わりまでにたった一言しか声を発しません。それは「NEXT!」です。日本語で言うと「次!」(「次のお客さん!」)です。

アメリカでの体験

次はアメリカに仕事で行ったときのお話です。ホスピタリティ体験の場所はダウンタウンからかなり離れたのどかな郊外です。

ある日の夕方、友人と自動車2台で幹線から少しそれた比較的狭い道を連なって運転していたときのことです。道を良く知っている友人が私の車の前を走り先導していました。

そのとき、こともあろうか私が運転していたレンタルカーのエンジンが突如停止してしまいました。惰性で車が進んでいる間にできる限り車を道路の脇に寄せていきました。そこは日本で言えば県道、市道程度の道でしたが、それなりに交通量はありました。

私は何度もエンジンをかけ直したりなど努力しましたがまったく動き出す気配はありませんでした。前を走っていた友人は気がつかなかったようでそのまま視界から消えていきました。

実はこれは数十年前の出来事で、当時は携帯電話なるものは世の中に存在していませんでした。そこは高速道路でもないので非常電話も設置されていませんし、郊外の道で周囲は見渡しても人家やお店はまったく見当たりませんでした。

結局、私がついてきていないことに友人が気がついて戻ってくるのをじっと待つしかありませんでした。

そして数分後、一台の車が私のレンタカーのすぐそばに近づいて来て停車し、一人の男性が中から降りてきました。「どうなさいましたか?大丈夫ですか?」「何かお手伝いできることはありませんか?」と声をかけてくれました。

私は事情を説明し、「友人が戻ってくるから大丈夫です。」「ありがとうございます。」と言ってお礼を言って分かれました。

さらに数分後、また別の一台の車が停車し男性が降りてきました。前の人と同じように「何かお手伝いしましょうか?」と言ってきました。

私が同じように「大丈夫です。」と説明すると、その男性は「なにか手助けが必要でしたら、いつでも連絡してください。」と言いながら私に自分の名刺を渡して去っていきました。

友人が気がついて戻ってくるまで20~30分程度だったと思いますが、何と合計3人の人から援助の申し出がありました。

アメリカはご存知のようにまさに車社会で、車は皆の生活の一部で大切なパートナーであるということで車のトラブルに関しては人のことでも大変気になるのかもしれません。

それにしても、この出来事でアメリカのふところの深さにとても感心しました。

高価な商品やサービスを買ってくれる人へのホスピタリティは?

富裕層が主に対象となる特別高価な品物やサービスを購入したときにお客様に対して示されるホスピタリティは真のホスピタリティとは言えないのではないでしょうか。なぜなら、その高い価格の中にすでにホスピタリティ(サービス)の価格も含まれていると考えられるからです。

商売とは無関係のホスピタリティや商売であっても特に高価ではないリーズナブルなものを購入したときのホスピタリティこそが、より望まれる真のものだと考えます。すなわち人々にプライスレスな真の感動を与え得るものです。

上記の私の体験事例すべてがこのような真のホスピタリティの例です。

ホスピタリティに差が出る理由・背景

私が今までに訪問した国は数十カ国になりますが、この日本を含めて、上にご紹介したようなホスピタリティ感動体験は他にはありません。

ホスピタリティに差が出る要因としてはいくつかの事が考えられます。

例えば、先進国か発展途上国か、国民は経済的に豊かか貧しいか、教育システムと教育方針・内容のレベルと充実度、国土の広さや人口の多さ、国土の気候環境、自然災害が多いかどうか、激しい競争社会かどうか、政治的安定性、国民の幸福度、国民の気質や性格、国民の信仰や信条、外国の資本・人に依存しているかどうか、インバウンド観光業に尽力しているかどうかなどでしょうか。

ホスピタリティに差が出る基本要因

主な基本要因をあえて3つに絞るとすると、

  1. 経済的ゆとり度
  2. 人口密度
  3. 外国への依存度

になると思います。

まず1の経済的ゆとり度ですが、やはり人は「衣食足りて礼節を知る」ものだと思います。実際には「衣食住たりて礼節さらにホスピタリティを知る」ということですが。人は衣食住が満たされていないと、どうしても生活・仕事・余暇活動に余裕がなく、自分のことで精一杯で、人様や周りのことを考えるゆとりがなくなると思われます。

経済的にゆとりがある国や地域では、当然学校教育、社会教育なども充実していることが期待されます。そこでは社会的エチケットや他人に対する思いやりなども合わせて学ぶことと思います。

この経済的ゆとり度は、国民1人当たりのGDPでほぼ代表されると考えます。

次に2の人口密度ですが、人も動物も非常に込み合った環境にいると振る舞いが違ってくるということに関係しています。

これは仲間同士が非常に込み合った状況に置かれると、すべての活動が競争になり、お互い強いストレスを感じて、身体的・精神的に不健康になっていくという考えです。このような状況下では他人のことを気遣う余裕はないのです。

国の人口密度は総人口を国土面積で単純に割ったものなのでその数字をそのまま比較することはできませんが参考にはなると思います。実際には都市部と田舎・山林地域など人口の偏在があり、例えば東京都の人口密度は他の地域に比べて極端に高くなっています。

最後の3の外国への依存度ですが、その国の経済がどの程度海外からの資本、労働者、移民、観光客に頼っているかです。頼れば頼るほど外国の人たちとの交流の度合いを高めて、お互いにうまく仲良くしていく必要があります。この基本要因は1と2とは違って主に外国の人に対する関係になります。

このような状況では、例えば観光立国では海外からの観光客に対してはおのずとホスピタリティが発揮されるでしょう。

私の体験事例について

すでにご紹介した、ニュージーランド、カナダ、ルクセンブルク、アメリカについて上記の基本要因を見てみることにします。

まず1の経済的ゆとり度ですが、1人当たりのGDPは上記すべての国で日本を上回っています。特に2017年度ではルクセンブルクが世界一となっています。

次に2の人口密度ですが、細かい比較は困難なので国の人口密度を参考程度に比較して見ると、日本に比べて上記すべての国で人口密度が低くなっています。特にカナダ、ニュージーランド、アメリカでははるかに低くなっています。

最後に3の外国への依存度ですが、日本に比べて、ニュージーランド、カナダ、アメリカはご存知のように移民を積極的に受け入れてきましたし、ルクセンブルクは外国資本を積極的に受け入れてきているようです。またすべての国でインバウンド観光業に積極的です。

このように見てくると、上記の体験事例の国すべてで、日本よりもホスピタリティの意識が高い傾向になるよい地盤があるだろうということが容易に推測できます。

さて、2020年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、日本でもさらにホスピタリティ精神が向上するように期待しています。

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